【生きがい(IKIGAI)】が日本独自の概念とは知らなかった。
毎日のブログを書く際に、キーワードと言える単語はとりあえずグーグルに放り込んで言葉の定義などを確かめてから書くようにしている。
今日のテーマは生きがいに定めたので、早速グーグルで検索すると生きがいとは日本独自の概念であるという説明が目に飛び込んできた。
全く知らなかったことであり考えたこともなかったのでとてもびっくりした。
大昔から西洋哲学でも幸福論は大きなテーマになっているし人種や文化関係なく所有する感情と信じていた。
そういえば西洋の幸福論は、幸福とは休日の朝布団にくるまって二度寝している心持ちだとか、幸福になるためにはつらい時に無理にでも笑うとか、幸福な状態を定義した上で精神・身体を幸福な状態に持っていくためのテクニックを説いていることが多いように思う。
現在に着目し、将来のことは不安をもたずに備えるくらいの扱いになっているような気もする。
生きがいとは幸福な未来との関連を保ちながら現在を生きるという、幸福感以上に時間の流れに寄り添った感情なのかもしれない。
これは最後の審判で復活するときに、若いころの肉体と年配の分別を持った理想像としての自分が出てくる宗教とそうでない宗教の違いなどの影響もあるのだろうか?
今日は死ぬまでにやりたいことをもう一度整理しようと思って自分の生きがいは何か考えようとしたら、言葉の定義のところで引っかかってしまった。
それもまたよし。
(閑話休題)
今日の写真は会社の窓から見える杉山である。
本社とはいえ三重の田舎にあるので、会社から山までの距離は200mもない。
会社と山の間いは、山と平行に走る片道1車線の基幹道路と多少の住居と田畑がある。
写真からもわかるように針広混交林でない杉山なので秋の紅葉はない。
春に花粉で黄色く染まるくらいで通常は常緑の山である。
やっぱり山を散策していても遠くから眺めても針広混交林の方が癒される。
私にとっては、心の癒しという意味でも生物多様性は重要であると思う。