朝4時の散歩で考えた「適度な刺激」の大切さ

毎朝4時30分に起床している。

昨日は疲れていたせいか、20時過ぎに眠ってしまったため、3時30分に目が覚めた。

毎朝のルーティーンをこなしても、まだ4:00を過ぎたところだったので、近所に散歩に出た。

うっすらと明るくなってきたくらいだったが、日中の暑さを避けるためか、散歩やランニング中の何人かと途中ですれ違った。

すれ違い様に軽く会釈をする。

夜中1時、2時などの相手と二人きりの真っ暗な夜道では、とたんに警戒心がMaxになる。

進行方向が同じで、後ろから追い抜かれる瞬間などは、総毛立つのを感じる。

同じような静けさであっても、「明け方(朝4時)」と「夜中」では脳の警戒レベルが全く異なるのを感じる。

少しでも光が差し込み始めると、「昼行性動物」としての本能で安心感を覚えるのかもしれない。

朝4時という時間が、「早朝の散歩」「通勤」「ジョギング」など、社会的な「善意・日常」のカテゴリに分類するよう、意識が判断するのかも知れない。

そんなことを考えながら歩いているうちに、輸送中のコンテナ水槽にピラニア一匹いれておくと、他の魚はストレスが良い方向に働き、生存率が高まる「ピラニア効果」という現象を思い出した。

もしかすると夜中に他人とすれ違う緊張感は、健康には良いのかもしれないと思って、家に帰ってから調べると、「ピラニア効果」が間違いだった。

良くできた寓話らしく、天敵に脅かされるような「命の危険を感じるストレス」は、実際は生体にとって破壊的だそうだ。

一方で、刺激ゼロの環境でも、動物は抑うつ状態に陥るらしい。

人も同じなのだろう。適度な運動、新しい景色、人とのあいさつ、小さな発見。

そんな「心地よい刺激」が毎日の活力につながるに違いない。

過剰なストレスも刺激の無さすぎる環境も健康には好ましくない。

結局のところ、「適度な環境変化や刺激が健康には一番いい」ということなのだろう。

「飲んで帰って午前様」よりも「早寝早起き・朝散歩」の方が、今の私には心地よい刺激を与えてくれるようだ。

繰り返しになるが、「ピラニア効果」が都市伝説だとは全く知らなかった。

これからも、朝の散歩で感じた「なぜだろう」を大切にしていきたい。

そんな小さな発見の積み重ねこそ、「早起きは三文の得」の本当の意味なのかもしれない。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心のやすらぎへ
にほんブログ村

昭和の川崎球場の思い出~コウモリとシピンとホームランボール~

私の勤める職場では、毎朝持ち回りで3分間スピーチを行っている。

職場には、息子さんがプロ野球の育成選手で支配下登録を目指しているというメンバーや、中日ドラゴンズの大ファンで月に1度は、ナゴヤドームに通っているというメンバーもいる。

当然のように、スピーチのテーマがプロ野球に関係するものになることが多い。

先日、私の番が回ってきたので、せっかくだからプロ野球の思い出を一つ披露した。

私が一番頻繁に野球場に通っていたのは、1970年代前半、大洋ホエールズがホームグラウンドにしていた川崎球場である。

祖父の知人が勤めている会社が、バックネット裏のシーズンシートを持っていたのだが、取引先にチケットの貰い手がいないときなどに、よく我が家に回ってきたのだ。

当然、人気の巨人戦に行ったことはなく、広島戦に行くことが多かった記憶がある。

当時は「人気のセ、実力のパ」と言われた時代だった。

今も球団名が残るのは、セ・リーグでは大洋を除く5球団だが、パ・リーグではロッテだけである。

まだ長嶋茂雄が現役で、大洋は、エースの平松や一塁の松原らが主力として活躍していた。

当時は、内野席と外野席が自由に行き来できたので、ホームもビジターも関係なく観客席を楽しんでいた。

子供たちは、靴を放り投げては、ナイターの照明に集まる虫を求めて飛来したコウモリが、靴を虫と誤解して地面すれすれまで飛んでくるのを面白がっていた。

ある時、ポールに近い内野スタンドの端っこで遊んでいたら、ライオン丸というあだ名のシピン選手が、左中間にホームランを打った。

打った瞬間、「これは入るぞ!」と思って駆け出して、見事ホームランボールを入手することが出来た。

すいているにもほどがある、川崎球場だからできた経験である。

朝礼のスピーチでは、この経験をもとに、「後楽園球場というレッドオーシャンでなく、川崎球場というブルーオーシャンで活動していたおかげで、ホームランボールを獲得できた」という話として締めくくった。

球場も球団も姿を変えた。

それでも、コウモリが飛び交い、シピンのホームランを追いかけたあの日の川崎球場だけは、今でも私の中で色あせることなく残っている。

あの自由でおおらかな川崎球場には、昭和という時代そのものが詰まっていたように思う。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心のやすらぎへ
にほんブログ村

「地震活動期をどう生きるか」~移住検討先の防災マップをみつめながら~

7月28日、熊本県で最大震度七を観測する地震が発生した。

横浜に住んでいた子どもの頃、大震災といえば、関東大震災であり、教科書に載っている存在だった。

せいぜい震度四くらいしか知らない私には、震災は遠い存在だった。

周囲の大人たちも同じで、危機意識も「二度と戦争を起こさない世界にする」に向いていたと思う。

下水道の整備が進んでない当時は、台風による床上浸水のほうが、すぐそこにある天災(危機)であった。

どこか他人事だった大地震を自分ごとに感じ始めたのは、1995年の阪神・淡路大震災くらいからだ。

1994年まで大阪に勤めていて、その後、千葉に転勤になったため、関西の友人・知人も多く、阪神・淡路の影響で、人生が大きく変わった人たちを何人も知っている。

当時、ほとんどの日本人は京阪神で大地震が来るとは思っていなかったと記憶している。

耐震基準の変更など、国の政策も大地震は必ず来ることを前提にして大きく変わっていったような気がする。

実際、日本列島では大地震が相次いでおり、活動が活発な時期に入っているとの見方を示す専門家もいる。

大学を卒業して社会人として働いていると、自分の世界も広くなり、阪神・淡路大震災より後に起こった大きな地震、例えば、新潟県中越地震や東日本大震災、能登半島地震では、いつも安否の気になる人がいた。

東日本大震災や能登半島地震では、被害の大きさに加え、人口減少や高齢化という地域の課題も重なり、集団移転や居住誘導について改めて考えさせられる場面もあった。

海沿いか高台か、居住誘導区域かそれ以外か。中古物件の価格にも、防災への意識が反映される時代になってきている。

防災意識が必須の時代になったのだと思いながら、移住候補先である福津市の防災マップを眺めてみた。海岸線を持つ行政区域であり、やはり津波や洪水に注意の必要なエリアが多い。さらにネットで深堀りすると、観光名所でもある津屋崎千軒は、海から200mくらいの距離にあり、海抜も3~4mであり、大きな地震への備えを考えると、少し心もとない。海岸線から直線距離で2~3km離れると、地震時の避難場所として指定されている高校があり、標高も40mあり、避難場所として一定の安心感がある。土砂災害のハザードなどもあわせて、個々の物件を評価していくことになるのだろう。

60代になって移住先を探すということは、新しい暮らしを探すことだけではない。

大切な人を守れる場所を探すことでもあるのだと改めて感じた。

*今回の大地震で被災された皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

60歳からの受験生生活

「資格試験に挑戦しよう」と決めた後、忙しい週末が続いている。

ITコーディネーターとして活躍している先輩起業家から、中小企業診断士を取るといいよとアドバイスを受けたのは7月4日のことだった。

その後の土日祝日が、福岡行きや出勤、故人を偲ぶ「ありがとうの会」だったり、ずっと予定が埋まっていた。

なにも予定のないはずの一日も、妻に誘われて温泉へ。

何かと慌ただしい日々だ。

8月に入っても予定は目白押しで、1日からは大学時代の友人と大阪へ行き、二人で旧友の墓参をする。夜、一緒に飲んだ後、私は娘の下宿に泊めてもらう予定だ。

その後も、実家への帰省などが控えている。

土日は家事も手伝っているので、忙しく走り回っている内に、毎日が終わっていく感覚だ。

お声がかかるのはありがたいことだし、どのイベントもアドバイスを受ける前に決まっていたことなので、今回は、「楽しい時を過ごすことができてよかったな」でいいのだが、本気で資格試験を目指す以上は、これからは少しイベントをセーブする必要があるだろう。

ちょっとした資格のために、1週間ほど集中したことはあるが、1年間がかりの節制が求められるのは、大学入試以来だ。

以前のブログで、定年前と定年再雇用後の毎日の時間の使い方を少し調整すると書いたことがあったが、さらに「受験生要素」も加えて再チューニングする必要がありそうだ。

大学受験の一年間がその後の人生を大きく形作ったように、これからの一年間も、残りの人生を形作る大切な時間になると信じたい。

実はふと、「もうあきらめて、ゆっくりしようよ」という誘惑が頭をよぎることもある。

自分の頭がまだ難関資格の受験に耐えられるか確かめたくて、今日の昼休みに無料のIQテストをやってみた。

同年齢の集団の中では予想以上に良い結果で、「まだ挑戦できる」と背中を押された気がした。

日々の暮らしの中で、飲酒習慣をどのようにご褒美として組み込むか、朝の時間をいかに活用するかなど考えよう。

60歳で受験生に戻るとは思ってもみなかった。

しかし、人生は何歳からでも新しい挑戦ができる。

残りの人生を変える一年になるよう、焦らず、計画的に、そして何より楽しみながら歩んでいこうと思う。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

「ありがとうの会」で考えた感謝される仕事

2024年に津市商工会議所が主催する創業塾に参加して、苔テラリウムの事業化について計画をたてた。

その時にお世話になった先生が、3ヶ月ほど前に若くして病気でお亡くなりになった。

日曜日に、「ありがとうの会」が開かれて参加したところ、学生時代の友人や独立前に会社員をしていた時代の上司、同僚や公的支援の専門家仲間に加えて、創業を支援してもらった人たちも多く来ていて、故人の人柄が偲ばれる賑やかな会になった。

初対面の人が多かったが、「先生とはどんなご縁ですか?」というところから会話が始まり、バイキング形式の立食パーティーだったこともあり、多くの人とお話しすることが出来た。

私が参加した起業塾は、約4ヶ月かけて行うグループワークで、創業を志す人たちが、創業までの計画を立てるといった内容だったが、起業後に経営コンサルタントとして、個別に事業相談にのってもらい経営指南を受けた人も多くいた。

インスタグラムにアップする写真の世界観など、細かなところまで親身になってアドバイスする、伴走型のスタイルだった。

「先生のおかげで人生が変わった」、「きびしいことも言われたが、頑張ってついていくと結果がでた」という話を何人もの方から聞いた。

もちろんどんな仕事にも社会を支える価値がある。

しかし「おかげで人生が変わった」と感謝される仕事ができるというのは幸福なことだと思う。

ぱっと思いつくところでは、経営コンサルタント以外にも医師や教師も感謝される職業の一つなのだろう。

とはいえ、そういった職業についた全員が感謝されるわけではなく、専門家として有能であり、高い倫理観を持つなど、本人の生き方が問われるところだ。

中小企業診断士を目指す私にとって、この日は資格の先にあるものを考える機会になった。

知識や資格ではなく、「ありがとう」と言ってもらえる仕事ができる人になりたい。

先生からいただいた恩を、今度は誰かに恩送りできるように、一歩ずつ歩んでいこうと思う。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

60歳からのロールモデル~その3:無邪気に楽しみながら組織に貢献する生き方~

60歳からの自分が目指す、ロールモデルについて考えてきた。

結論としては、坂本龍馬のような大きな絵を描くカリスマ+人たらしの資質を併せ持つタイプではなく、養老孟司先生のような「自分で考え抜いた言葉で物事の本質を語る知性」、「方丈記的達観」と「昆虫など、自分の好きを大切にする無邪気さ」を参考にすることとした。

具体的な個人を特定してロールモデルとして設定するのではなく、「肩の力の抜けた知性」と「可愛げ」をチャームに、頼りがいのある専門家として、専門性を武器にギバーとして周囲に貢献している人を目指してみようと思う。

人生を通じて、先輩からは可愛がられることの多い後輩キャラクターだった。

また、相手によって態度を変えることはなく人を見る視点も比較的フラットだったと思う。

可愛げ・愛嬌については及第点をつけてもいいかもしれない。

「好きを大切にする無邪気さ」にも自信がある。

一方で、リーダーシップを発揮するのは苦手で、後輩にとって頼りがいのある先輩ではない時も多かったかもしれない。

組織には必ず目的があり、部活動でいえば勝利だったり企業活動であれば利益だったりする。

組織の目的に対して十分な貢献が出来ていると自負している時にだけ、よい先輩としてふるまえたように思う。

そんな時でも叱るのは苦手で、「事前準備と打ち合わせ、細かな業務計画の策定と進捗管理」など、怒らなくても回る仕組みを作るスタイルだった。

こう考えると、60歳を超えて一生幸福でいるためのロールモデルを実現する鍵になる(さらなる頑張りが必要になる)のは、自分でも胸を張って貢献できたと言える専門性を確立して、その専門性を求める組織と接点を持つことだろう。

今までの経験やこれからの学びにより、しっかりとした専門性を確立して、自分で考え抜いた言葉を用いて貢献する。

そのための第一歩として中小企業診断士を取得するというのは悪くない選択だと思う。

ここまで、自分なりの個性で実現可能な目指すべきロールモデルを考えてきた。

中小企業診断士への挑戦も、その理想の自分に近づくための一歩として楽しんでいきたい。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

60歳からのロールモデル~その2:養老先生に学ぶゆったりした感じ~

昨日に続いて、60歳からの自分が目指す、ロールモデルについて考えてみたい。

ロールモデルは、目指したくなる人のことだから、魅力的な人ということになる。

魅力的な人もいろいろなタイプがあるのだろうが、万人をひきつける、突き抜けた魅力ということになると、カリスマや超のつく人たらしということになろうか。

カリスマという言葉で思い浮かぶ人、人たらしという言葉で思い浮かぶ人は、著名人も含めて考えると、それなりにいる。

カリスマ+人たらしを兼ね備えた最強の人ということになると、田中角栄、坂本龍馬といったところか。

存命であれば、ビートたけしなども含まれるだろう。

「方向性を指し示して人を引っぱっていく力(カリスマ)」と「人への強い関心をもち、裏表がなく、限りないやさしさにあふれた、無邪気で愛嬌のある人柄(人たらし)」を兼ね備える人。

身近なところにいる市井の人では、大学時代の柔道部の先輩、私が中国に駐在していた時の中国事業の総責任者が思い浮かぶ。

とてもじゃないが、私のような凡人が目指すタイプではない。

全く違うタイプのカリスマ兼人たらしは、いないものか。

よくよく考える内に、養老孟司先生が思い浮かんだ。

養老先生には、「思考の深さと、世の中の本質を捉える視点」や思考を言語化する力、ぶれない「達観」から生まれる独特のカリスマ性がある。

養老先生が持つ、物事を深く考えながらも肩に力の入っていない独特の空気、虫・猫・漫画・ゲームなどに向ける「無邪気な好き」も魅力的だ。

話の中に、限りないやさしさもにじむ。

講演会の質疑の時間に、挙手して直接質問できた時の感動は、私にとってのもう一つのタイプのカリスマ+人たらしと接したからなのだと思う。

とうてい及ぶものではないが、私が目指す方向性としては、「小さな知性」と「可愛げ」が同居している、肩の力の抜けた、一緒にいて気持ちのいいひとというところではなかろうか。

・土台となるキャラクター:
「人見知り」だけど「内面に愛嬌」を隠し持ち、仲間を大切にして、威圧感はなく、共感性が高い。誰に対しても態度が変わらない聞き上手。

・ギバーとしての関わり:
60歳まで培ってきた「食」の専門性を活かした地域支援や、「苔テラリウム」を通じた癒しの提供。

養老先生のようにはなれない。でも、自分らしい「肩の力の抜けた知性」と「可愛げ」を、60代という時間をかけて、少しずつ育てていきたい。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

60歳からのロールモデル~その1~

ロールモデルと言えば、生き方、行動やキャリアのお手本となる人物のことである。

若い頃から、その時々で憧れてきた人物を思い出しながら、60歳からの自分はどんな人物像を目指したいのか考えてみたい。

子どもの頃、画面の向こうで輝いていた、あこがれの人たちは、ロールモデルというのだろうか?

例えば、アントニオ猪木。

アントニオ猪木は、私にとって、ヒーローだったのか、それともロールモデルだったのか?

ヒーローは、あこがれて見上げる存在、ロールモデルは、自分もああなりたいという存在だろう。

猪木のように強くなりたいと願い、ブルワーカーを購入したり、腕立て伏せに励んだりして少しでも筋肉をつけようとしていた。

あの行為は、ヒーローとして出会い、ロールモデルとして捉え直したということでいいのだろうか?

スポーツの世界では、他にも若くして亡くなられた古賀稔彦がいる。

平成の三四郎と呼ばれた古賀選手は、身長も体重も私と同じだったのだが、目の前で理想が柔道していると形容するのにふさわしい試合ぶりだった。

古賀選手の背負いに少しでも近づけようと一所懸命に稽古した。

ヒーローとしての色合いの強い猪木よりも、よりロールモデルに近い存在だったように思う。

彼は、1967年生まれで、私の1年下になるので、生まれて初めての年下のロールモデルだったかもしれない。

スポーツ界以外でも、壮大なスケールで無類の人たらしだった坂本龍馬や死と隣り合わせの瞬間にも笑顔で軽口を叩いていそうなルパン三世など、歴史上や創作の世界の人物も含めて、常に、自分が少しでも憧れの人に近づくためにはどうするか考えていた。

憧れだけで終わるヒーローでなく、ロールモデルとして捉えて、自分なりに真似をし、試行錯誤を重ねてきた人生だったのかもしれない。

今までの人生で私を導いてくれたロールモデルたちを思い出しながら、60歳からの自分が目指したい、ロールモデルを引き続き考えてみたい。

鬼籍に入ったひとかもしれない、年下かもしれない、身近な人かもしれないし、遠くから勝手に私淑しているひとかもしれない。

もしかすると、いいところどりした、寄木細工のような人物像ができあがるかもしれない。

どんな人物像が浮き上がってくるのか、自分でも楽しみだ。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

60代からの、お酒との付き合い方~科学と実感のあいだで~

お酒が好きで、「酒は百薬の長」という言葉を言い訳に、周りから早死にするぞと言われながらも、実に良く飲んでいた。

大規模な疫学的調査の結果、最近では、「健康面だけを考えるなら、お酒は一滴も飲まないのがベスト」という知見が主流になっているらしい。

科学の世界では、「ヤマカガシには毒がない」などのように、頭から信じ込んでいた常識がひっくり返ることがあるが、アルコールに関しては、その可能性は限りなく低そうだ。

アルコールが分解されるときにできる、アセトアルデヒドによる発がん性のメカニズムが分子レベルで解明されており、がんの種類によっては飲む量に比例してストレートにリスクが上昇するらしい。

とはいえ、自分の実感とは異なる部分がある。

身体的な病気のリスクとの関連では、何一つよいことはなかったとしても、人見知りだった若い頃の自分が、社会に溶け込むためのコミュニケーションの潤滑油として、仲間作りに貢献してくれたし、お酒を通じて獲得した人間関係が、現在にいたるQOLを底上げしてくれていることも事実である。

ストレス解消効果が、間接的に免疫力を高めて、結果的に長寿につながる、アルコールの害を補って余りある効果が、醸造酒の発酵由来成分で発見される可能性もある。

もちろん、これらは現時点では私の推測にすぎない。

「コレステロール値が上がるから、卵は一日一個まで」と言われていた頃、私はどこか腑に落ちなかった。

そして実際に知見は変わった。

この経験があるからこそ、私は科学を疑うのではなく、科学は更新され続けるものだと思っている。

若い頃のような無茶な飲み方では、早死にするかもしれない。

しかし二日酔いにならない程度のお酒を愉しむこと(これが難しいのだが)は、健康に悪くないと信じながら、一生付き合っていきたい。

「私の体質では飲酒した方が長生きできる」

この仮説を、自分自身の人生をかけた実験で、確かめていこうではないか。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心のやすらぎへ
にほんブログ村

久しぶりのサウナで知った、身体の変化と起業への熱

3連休の中日に、数年ぶりに温泉に行った。

妻は露天風呂、私はサウナが目当てである。

初めてサウナに入ったのは、学生時代である。

風呂なしの下宿住まいであり、通っていた銭湯に、二人で満員の小さなサウナがあった。

水風呂は一人用だ。

初めて水風呂に入った時は、世の中にこんな気持ちのよいものがあるのかとえらく気に入った。

今でこそ、水分の摂り過ぎで大汗かきの体質であり、スポーツジムに行くと1kgは直ぐに体重がおちる。しかし柔道部だった当時は、体重別の大会で減量しているときなど、30分間サウナ入っても一筋の汗も伝わらないまま、火照った身体を水風呂で冷やしていた。

社会に出てからも、サウナ付きの温泉によく通った。

少し温度の低い湿式の塩サウナも大好きで、身体中に塩を塗りたくって、たっぷりと汗をかくと肌がつるつるになっていて、これも驚きだった。

しかし起業を意識しはじめて生活が少し変わった。

苔テラリウムのマルシェ出展やイベントが土日に入るようになり、温泉へ足を運ぶ機会が自然と減った。

今回のサウナは、本当に久しぶりとなった。

相変わらず、とても気持ち良かったが、水風呂に使った時に心臓がドキドキとしてびっくりした。

若い頃には感じなかった身体の反応である。

血管の急激な拡張と収縮、血圧の変化など、サウナと水風呂の繰り返しは、慣れていないと身体も驚くのかもしれない。

「今が一番若い」、そんな言葉を思い出して、サウナを味わえる身体をキープしておくためにも、たまにはサウナに行く時間を持とうと思う。

そういえば、起業塾で知り合った、50代の方が個室サウナ店をオープンした。

私には、「サウナが好きだからサウナを作って開業する」という発想がなかった。

好きなことを仕事にする、その行動力に驚かされた。

久しぶりのサウナで自分の身体の変化を感じた。

同時に「好き」を仕事に変えようとする人の熱も思い出した。

次は、そのオープンしたばかりのサウナ店を訪ねてみようと思う。

サウナの心地よさだけでなく、夢を形にした人の熱にも触れてみようと思う。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心のやすらぎへ
にほんブログ村