
私の会社員としてのキャリアは、いろんなことがあった。
横浜で生まれ育ち、札幌、大阪、千葉、上海、そして再び横浜と、あちこち渡り歩いてきた。
そんな私が、今なぜ地縁も血縁もない「三重県」にいるのか。
上海時代にご縁のあったベンチャー企業から声を掛けてもらい、「一発当てれば、FIRE!」と意気込んで、完全人工灯型植物工場のベンチャーに飛び込んだものの、世の中そんなに甘くなく、会社は資金繰りに窮し、会社更生法の適用を受けた。
48歳無職の誕生である。当時、長女は小学2年生、次女はまだ幼稚園。「お父さん、無職だ、やべー……」と、あわてて職探しをして、拾ってくれたのが三重の会社だった。
やっと落ち着き始めた頃、新型コロナウイルス禍が世界を襲う。
ある日を境に「不要不急」という言葉が飛び交い、県外にも出られない、仕事はテレワーク。家に引きこもる羽目になり、いろいろ考える時間が増えた。
「自分にとっての『必要火急』とは一体何だ?」と考えたり、 「死ぬまでにやりたい100のことリスト」を作ったりした。
会社員としては、海外駐在を経験し、ストックオプションももらい、ベンチャーから上場企業まで、新入社員から中間管理職、現地責任者など色々な立場を経験してきた。
「個人事業主として自分の力で生きていく」。やりたいことリストに挙げた中でも、人生やりきった感を持てるミッションだ。
会社員の就業時間外で、勉強を始めた。
突き進む中で見落としていた「一番身近な存在」
自分の夢や勉強、そして社外での人脈作りに熱中したが、大切なことを見落としてもいた。
「家族」である。
私は一人暮らしが長く、一通りの家事はできる。ミッション開始までは、土日の食事を作るなど、かなり家事をしていた。しかし、自分の学びや活動に突き進むと週末の外出も増えて、妻の家事負担が増えて、不興をかった。幸福の追求という意味では、本末転倒である。
そんな時に、量子力学をベースにした生き方を発信されている「大ちゃん先生」こと、村松大輔さんのセミナーを知った。おもしろそうだったので、妻も誘っていった。
すると、大ちゃん先生が発する「愛と感謝」の響きが、私たちの心に深く刺さった。
まずは身近な人への感謝だ。私も発する言葉を変えた。
「家族の前で感謝する」、「家族に向けて感謝する」、この2つを実行した。
料理をいただく時は、「天地の恵みと多くの人々の働きに感謝して、命の元を謹んでいただきます」と感謝する。
すると不思議なことに、私が小言を言わずとも、家族がよっぽど素直に楽しそうに食べてくれる。時には、家族が隣で一緒に唱えてくれるようにもなりました。
さらに、大ちゃん先生を参考にして、「結婚してくれてありがとう」「生まれてきてくれてありがとう」という、照れて言えないような感謝の言葉を、まっすぐ言う。
子ども達からは、「きっも(笑)」、「うっざ」などとお決まりのツッコミを返されるが、家庭内の会話は明らかに弾む。
ある日、子供たちが言う。 「うちは親ガチャ、当たりだね!」
長女は大学進学を機に一人暮らし中、高校2年生の次女も、あと2年もすれば家を巣立つだろう。妻と2人の生活になり、私が会社員を完全に卒業した後は、福岡へ移住する予定だ。
キャリアを築くこと、新しい挑戦をすること、どれもわくわくするが、すべての土台となるのは、一番身近にいる家族との関係だと思う。
子供たちがいつでも「帰ってきたい」と思えるような、「感謝のエネルギー(フォトン)」にあふれた家を作ること。そのためにも、私はこれからも「感謝する力」を磨いていこう!
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