昨日のブログでは、『コミュニティに入る為の最大のコツは、「助けてもらう側(テイカー)」でなく、「少し先に与える側(ギバー)」としてかかわり始めることに違いない』と書いた。
その考えは、養老孟司先生と内田樹先生の対談本で、次のような文章を読んだ際に会得したに違いない。
「赤ちゃんとして生まれて世間に溶け込んでいくというのは、ルールも知らないのに、いきなりサッカー場に放り込まれるようなものである。
ルールも知らないまま、キョロキョロ・ウロチョロしている間に何となく、世間を渡る作法が身についていくものだ。」(うろ覚えかも)
読後、強い共感ともに、次のような感想を抱いた。
勘の鋭い子どもは、ボールを奪い合っている集団が色の違う服を着た二つのチームからなっていることに早く気付いたり、運動神経の良い子どもは、早くボールに触れることができるようになったりするであろう。
ルールを覚えて、プレイできるようになるまでは、いつまでたってもミソッカスなのだ。
世間への適応もきっと同じように、うまい・下手、早い・遅いがあるのだろう。
明るく外交的で、直ぐに人の輪の中心になる子もいれば、集団の中で悪目立ちしないよう、おとなしくしている子もいる。
私は、「集団の中で居場所を見つけた」、「メンバーシップを獲得した」と認識するまでは、とてもおとなしくしているタイプの子供であった。
養老先生と内田先生は、同じ本の中で次のようにも語っていた(うろおぼえかも)。
「昔の家では、最初に所属するコミュニティである家族の中で、家事労働の役に立つことで、メンバーシップを獲得していった」と。
私も家の中で自分の役割を持っていたせいか、新しいコミュニティに属した時は、何等かの役割を果たして(ギブを行うようになって)、初めて共同体の一員になれた気がするものだった。
明日は、「ギバー」としてふるまうことのできる、私の強みを発掘してみよう(続く)。









