道草を眺めて通勤しながら考えた。
感覚器官というのは変化を感じ取るものであるから、何も食べていない時の味覚は何の味もしないし、風がそよいでいないときには皮膚で風を感じることもない。
長じて脳の中のデータベースが充実するにつれて微細な変化に鈍感になったりする。
子供の頃は何時間でも飽きずに眺めていた虫に目がとまることも少なくなるし、目の前の草も雑草というくくりで見てしまうとひとかたまりになって違いがわからない。
一つ一つの植物の名前を覚えて、各々の発芽や花の季節を学んだりするようになると異なるものとして脳が変化を感じ始めるので目に入る風景の情報量が全然違ってくる。
道ばたの苔もじっくりと眺めると生えている環境ごとに見た目が異なり、違う種類であることがわかる。
目に入る自然物、例えば植物であり、虫を含む動物であり、鉱物なども名前を覚えてそれぞれの特性がわかるととても楽しそうだ。
車やファッションといった人工物も色々とあるのだろうが私は自然で行こう。
ここを突き進むと間違いなく楽しそうだ。