はじまりはコロナ~その3~

生き物の思い出はまだまだある。

 50年前は、東京や横浜にも沢山の自然が残っていた。自宅の庭だけではなく、外遊びも自然の中で多くの時間を費やした。

 大倉山には、沢山の防空壕があり、防空壕を秘密基地として山の中で遊びまわった。当時、大倉山は東急電鉄の所有だったが、自由に遊ぶことが出来て、甘い香りのアケビや甘酸っぱい野イチゴをおやつにクワガタを取ったりしていた。
 普段、野球をしていた近所の空き地には、調整池があり、トノサマガエルやザリガニが沢山いて、悪ガキはトノサマガエルのお尻に爆竹を詰め込んで破裂させたりしていたが、私は可哀そうでやらなかった。当時、ガキ大将を止めなかった自分を思い出すと今でも胸が痛むことがある。空地には、エノコログサやススキ、カゼクサなどが茂り、イナゴやバッタ、カマキリなどを捕まえて過ごした。カマキリの卵を見つけると家に持ち帰り、木組みの箱に網戸を張って作った飼育箱においておくと小さなカマキリがわらわらとわいてきて嬉しかった。
 自転車で三ッ池公園まで遠出すると、クチボソや手長エビが沢山いて、時間のたつのを忘れて釣っていた。

 当時の横浜では、光化学スモッグが問題になっていたが、山や原っぱの虫たちは、まだ豊富だったように記憶している。
環境汚染は水質の悪化のほうがひどくて、近所の鶴見川は一級河川として日本で3番目に汚い川になっていた(現在は行政や市民活動の努力でかなり改善されている)。
 その為、ゲンゴロウやタガメなどの水生昆虫が希少で、野生のミズカマキリは、50歳を過ぎて三重県の雲出川で初めてみることになる(まだ続く)。

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