黄金色の麦畑

通勤途中の麦畑で冬小麦の収穫が近づいている。

金色にきらきらと光り始めていてとてもきれいである。

金の麦は幸福の象徴としていろいろな絵画や映画や小説、漫画などで描かれてきた。

ゴッホの油絵にも有名なものがあったと記憶している。

風の谷のナウシカで、「そのもの青き衣をまとい金色の野におりたつべし」という古き言い伝えの再現としてナウシカがオームの触角の上を歩いている有名な場面があった。

あの場面も麦畑をイメージして描かれているのだと思う。

樹なつみという好きな漫画家がいるのだが彼女の作品で「OZ」という核戦争後の未来を描いた漫画でも憧れの風景として麦畑が描かれている。

日本人の場合、米が主食であり、私も子供の頃から麦畑を見るよりは水田で稲穂を見ることが多かったように記憶している。

麦畑を見慣れている訳でもない筈なのに心がほっとする。

遺伝子に組み込まれた幸福の風景なのかもしれない。

金が金属の中で特別な地位を占めているのも希少性だけでなく人が美しいと感じる色をしていることが大きいのだろうが、美意識のおおもとは収穫期の麦色から来ているような気がする。

朝からいい気持ちになれた。

眼福である。

第三の波を読んで思うこと

「第三の波」を読み進めている。

時代を大きく返るうねりを波に例えて歴史を読み解き、未来を予想する本である。

第一の波は人類が狩猟生活から農耕生活にわかっていったタイミングであり、第二の波は産業革命である。

産業革命による大量生産・大量消費を成立させるために、規格化・専門化・同時化・集中化・極大化・中央集権が進みながら産業社会が構成されてきたことをとく。

私がまだ14歳だった1980年初版の本である。

第三の波は情報革命による脱産業社会の到来のことだと唱えている。

GAFAMの創業前後に書かれた本であり、2022年の今も本書で予言された第三の波がまさに進行していることが実感できる。

どのようなものの見方を獲得すればこんなに先が読めるようになるのかと関心する。

第三の波では多様性が強調されており、規格化・専門化・同時化・集中化・極大化・中央集権と対立する概念に世の中が進んでいると思う。

集中をやめて分散してグローカルの動きが進んでいくのだろう。

一方で消滅する地方自治体の話も相変わらずかしましい。

インフラ維持に必要な人口、メタバースにどこまでのリアリティを期待してよいか、老後の自分に必要なエネルギー量の見積もりと入手手段などの制約条件を加えて老後の終の住み処をどこに構えるかなどの今後の生き方を深く考えさせるきっかけとなる良書であった。

社会に出て直後の30年以上前に当時の専務が課長以上を集めて「第三の波勉強会」なるものを開いていたので購入だけして本棚に眠らせていたがこのタイミングで手に取ることができてよかった。

時代が追いついてきたことと私自身の読解力の向上でやっと良さがわかった。

梅干し作りの季節(二日目)

昨日に引き続いて梅干し作りのはなしを書く。

今日は突発の仕事が飛び込んで1時間30分ほど残業して帰る。

家で夕食をとったあと一晩水にさらしてあく抜きした梅を水切りして布巾で水気を取ってから焼酎で洗う。

昨年の梅干しを漬けるのに使い、そのまま梅酢を入れていた広口瓶の梅酢をペットボトルに移して小梅・塩と重ねるように漬けていく。

広口瓶の蓋には去年梅を漬け込んだシールが貼ってあった。

2021年5月20日だった。

今日は5月17日であるから、日付を意識せずに販売されていた小梅を買ってきて作業したわりにはわずか3日しか違わない。

大きなスパンでは氷河期がきたり温暖化が進んだりしているのだろうがつくづく自然というのはたいしたものである。

三日違いで昨年と同じようなことを繰り返しながらきちんと年齢は一つ重ねている。

一昨年よりも去年よりも段々と手際がよくなっているのがわかる。

緩慢ながらも成長していると実感するのはうれしいことである。

仕事が忙しかったところに家仕事も一つこなした。

一粒で二度おいしい感じの良い日であった。

梅干し作りの季節

ここ何年間か梅干しを漬けている。

今年も梅干しを漬けるシーズンになり、近所のスーパーで販売されていたものを購入してきた。

大ぶりの南高梅ではなく小梅を使っている。

私のお弁当にちょうどよいサイズで2kg漬けるとほぼ一年間まかなえる勘定になる。

今年は上の娘が高校に進学して学校給食からお弁当に変わったので3kgつけてもいいところだが例年通り2kg仕込むことにする。

今日はヘタをとって水に一晩さらしてあく抜きをするところまで行う。

ヘタを取り終わる頃には梅の峻烈な香りがすっかり指先に移っている。

歯磨きなどいろんな作業の間、香りを楽しめて良い気持ちになる。

家内は家内で昼は庭の草取りに一所懸命だったそうだ。

日常で使う時間に自然とふれあう時間が多いのは幸福なことだ。

ゴールデンウィークから少しお酒の量が増えていたので今日から少しの間禁酒することを決める。

週末に図書館で「夜と霧(V.E.フランクル)」を借りてきた。

ずっと気になっていた本である。

禁酒の夜につきあってもらうことにする。

飲みながら読むには重たい本なのでちょうど良い。

サッカーを楽しむ

今日は生まれて初めてプロサッカーを見に行った。

鈴鹿ポイントゲッターズとHONDA FCのゲームである。

下の娘が所属するチアのチームが演舞したイベントを見た関係者からハームタイムで踊ってみないかと声をかけてもらい、ありがたくお受けしたという理由である。

もしかすると三浦和良を見ることができるかな?というぐらいの気持ちで子供を連れて行った。

ハーフタイムを主な目的にしてゲーム中に読むための文庫本を携えた失礼な観戦態度で挑んだ。

見始めるといきなり釣り込まれた。

一つ一つの技に見とれるというよりも再生の効かないゴールの瞬間などの唯一の体験ができるという感じが目を離させないように感じた。

実際にゴールの瞬間を何度も見ることができた。

思った以上に楽しむことができて良かった。

子供たちは三浦知良のことをよく知らなかったので簡単に説明した。

説明中にすごさの例として王貞治を話題にだしたら知らなかった。

三浦知良を知らなくてもしょうがないと得心した。

子供の頃夢中になったプロ野球も大洋ホエールズの基選手とか現在今知られていない選手のほうが多い。

そんなものなのだろう。

よい一日だった。

コーチングを頑張ろう!

ここ一年ほどコーチングの勉強をしてきて3月末に無事にコーチの認定資格を取得した。

せっかくだから活かしたいと思っている。

まずは皆にしってもらわないといけないので本日はそのためのツールとしてワードプレスにアカウントを追加して、コーチング用のブログを立ち上げる準備をした。

屋号も「コーチングコンサルティング悠々」に決定して名刺も発注してみた。

まずは格好からということになるが少しずつ前進していこうと思う。

次はコーチング関連の記事の作りだめも平行して行わなければならない。

貪欲に生きていきたい。

現在、「第三の波(アルビン・トフラー)」を読んでいる。

これも家の本棚で10年以上ほこりをかぶっていた本である。

やっと面白さがわかってきた。

さすがの観察眼である。

本を読む力を高めながらコーチングを通じてアウトプットしていくような構図が作れたらいいなと思う。

写真はアスパラ。

一本ずつ順番に生えてくるので家族も順番にいただくことになる。

自然を意識する上では良いかも知れない!

健康診断の結果に一喜一憂

4月11日に受信した健康診断の結果が出た。
ここ一年間節酒に心がけてきたのでどんな結果が出るか楽しみに待っていたところ、
γ-GTPをはじめとして肝機能が正常か判断するために検査する項目は全て異常なしであった。
脂質検査で中性脂肪に経過観察がついたがまあ上出来と言ってよいだろう。
筋トレした時の筋肉のつき方といい、禁酒した時の健康診断の結果といい、肉体的なものは裏切らなくてよい。
やったらやっただけの結果が返ってくる。
昼休みにYahooを見ていたら綾瀬はるかが大泉洋との共演ドラマに関するインタビューを受けていて、その中で自分史上最高に股関節を柔らかくするようにピラティスを頑張っているという記事があった。
今、37才らしいが綾瀬はるかも身体的な努力に付随する成果を信じられる人なのだろうと思った。
56才にして柔軟性で自分史上最高を目指すという発想はなかったのだが自分を信じて柔軟性を高めてみたいと思った。
ストレッチなどに励んでみることにしようと思う。

身体の構成材はすべて元生物

qw

上島竜平さんの訃報が流れた。

高校の頃に「スーパーJOCKEY」で熱湯コマーシャルに出ていた頃から見ていたこともあって少しやりきれない気持ちになった。

三島由紀夫は記憶にないが古くは田宮二郎、沖雅也など画面で見慣れていた人の自死は衝撃を受ける。

身近な知人、友人などはより一層である。

ウクライナのニュースを見ても当然心は痛むが老衰などの自然死の場合であっても顔と名前の一致する人の場合とはやはり感じ方が異なる。

どんなニュースに遭遇しても人生死ぬまでの暇つぶしと達観して楽しく暮らすようになるまではまだ多少の時間が必要だろうと思う。

今生きている私の身体は100億年以上前にできた元素がずっと循環しながら今の私にたどり着いたのだし、食べ物を食べて大きくなってきたのだから今の体の元素はすべて、もと生物で構成されているはずである。

俺の身体は何億年前からの命で構成されているのだろうか?

生まれる時には個体発生の中で系統発生を繰り返したはずである。

せっかくだからつないでいきたい。

このブログを書きながら、火葬でなく土葬・鳥葬もいいなと思った。

イスラムなど火葬厳禁の宗教があるのも同じ考えの延長線上から来ているのだろうか?

写真は通勤途中に見かけたつばめ。

強い気持ちになる風景だった。

ブログと読書

平日のお酒を控えるようになって1年間になる。

就寝時刻までお酒を控えるための時間つぶしのツールとして始めたブログも同様に一年になる。

ブログを書くだけでは禁酒した夜の長い時間を過ごすのに十分ではないので本でも読んでみようと思って図書館通いを始めたのも去年の今頃である。

一回に五冊、貸し出し期間で2週間のペースで読み進めてきた。

図書館で借りた本だけでもかれこれ70冊以上になる計算である。図書館通いが始まった1年前には幸福とは何か?生きる意味とは?など昔ながらの哲学的な問いの本を手に取ることも多かった。

ブログを始めた際も死ぬまでにやりたい10のことがテーマだった。

山を買おうとかいろいろと考えた。

名前をしっているだけだった『純粋理性批判』なども初めて読んだ。

この一年間は自分がいかにものを知らないかにあらためて気づく営みであって、夏目漱石などの古典を経由しながら、現在、『ちくまプリマー新書』や『岩波ジュニア新書』などの中高生向けの様々な本を読みあさるところにたどり着いた。

本とは体験であると少し実感できるようになったように思う。

あらためてここからスタートして少しでも本ときちんと対話できるようになりたい。

夜の間が持たずに始めたブログのはずなのに、読書も含めて時間の不足にひぃひぃ言っている。

よく暮らしているのだろうと思う。

インプットだけではだめと気づいたのもこの一年間のことであるので学んだことをアウトプットするように心掛けつつ、次の一年間に突入する。

現時点の総括は以上になるが来年の今頃、何をかいているか楽しみである。

職場にツバメの巣

私の働いている会社の本社ビル三階に張り出しているひさしにアシナガバチが巣を作りかけて放棄したきりの土塊がある。

私の座っている席から窓に向かって振り返ると目に入る位置にある。

今日は朝から複数のつばめが何度となく訪れていた。

最初は二羽で現れたのでアシナガバチの巣跡を基礎に利用して自分たちの巣を作るのかなと思っていた。

もしそうであれば当分は賑やかになると思って楽しみにみていた。

何度となく往復するが巣作りの枯れ草などを持ってくる様子もないし、そのうち三羽で来るようになったのでどうやらこの場所に巣を構える様子はなさそうである。

どちらかというと巣作りの材料を取りに来ているのかもしれない。

昔から益鳥として知られており私の子供の頃には横浜にも多く渡ってきていた。

最近は糞などの汚れを嫌われたのか巣を構えさせる家は横浜では少なくなっていたように思う。

裏付けるように、『ツバメの巣』と検索すると鳥害予防に関連する広告が上位にあがってくる。

三重県民は自然関連のことには比較的鷹揚な気がしていて、そこら辺は美徳なのだろうと思う。