自然が好きって本当か?

今日の写真はヨトウムシの蛹である。

忙しくしているときにイモムシに気づいたが、取る暇もなく外出し、帰ると蛹になっていた。

気の毒だが潰した。

庭の野菜の食害が目立ってきたので点検したところ、芽キャベツで一匹、ブロッコリーで4匹のヨトウムシの幼虫を退治した。

パセリにはキアゲハの二齢幼虫と四齢幼虫が一匹ずつついていた。

一坪ほどの庭の畑に、ネギ、パセリ、レタス、キャベツを配置し、コンパニオンプランツの組み合わせにして育てているが、お構いなしに虫はつく。

私は自然が大好きと思っていたが、昆虫一つとっても、よく考えるとカブトムシやカマキリ、トンボなどの好きな虫もいれば、ゴキブリやヨトウムシなどの嫌いな虫もいる。

不快害虫、衛生害虫、食品害虫、食害性害虫といった害虫類はおおむね嫌いだ。

庭の生垣についた虫で毒がなく、かつ生垣を丸裸にするほどの勢いのない虫は気づいても駆除せずほっておいたりもする。

そうなると自然が大好きというのは、多少大雑把すぎる表現なのであろう。

荒れた海には近寄らないし、冬山に登ることもしない。

人間関係と同じなのだろうか?

好きな人も嫌いな人もいるが一人では生きていけないので世間の中で生きていくといったように!

好きな自然も嫌いな自然もあるが自然なしでは生きていけないので自然を身近に感じることのできる場所で生きていくといったものなのだろう。

毛虫にフォーカスするとぞっとするが、草むらでも1m離れて肌が触れ合わない距離で、近眼の眼でぼんやりと眺めると心の底から寛ぐ。

人間は自分だけをえこひいきし、他人も自然も若干の距離をあけて漠然とそばにいてくれると幸福になるといったたぐいのものなのだろう。

男は黙ってサッポロビール

毎日毎晩、大いに酒を飲んでいた。

5月にブログを始めたきっかけが休肝日を作るために持て余した夜の時間の手慰みであると以前、記した。

5月依頼、週末を除いて禁酒は継続していて休肝日は5月以降、総日数の過半を超えている。

休肝日を多くとり、体調が良好になるとお酒の好みも変わる。

休肝日を作る前は、金銭的な事情もあって、第三のビールの350ml缶を6本ほど飲んでからアルコール度数の高い酒を少し嗜むのが日課だった。

身体が速やかな酔いを欲していることもあってか高い酒精と少ないうま味で舌を指す感じの味を美味しく感じていた。

休肝日を多くとるようになって、せっかくだからビールを飲もうと思った。

キリンラガー、アサヒスーパードライ、サントリーモルツなどを眺めながら、ふと【男は黙ってサッポロビール】というフレーズが頭をよぎって黒ラベルを購入した。

やはり本物はうまいなぁとしみじみ思った。

これからも第二第三でなく、ビールのお世話になっていこうと思った。

(閑話休題)

今日の写真はポストに朝刊を取りに行きがてら撮影した庭のアサガオである。

夏の花だが10月上旬になってもまだ花を咲かせていて、非常にけなげだがやや花の勢いが落ちてきた。

今日は二十四節気の寒露で朝晩の冷え込みがきつくなってくる時期である。

体感も冷え込みを感じ始めているので残った蕾を開ききったら今年の花は終わりになるのであろう。

【生きがい(IKIGAI)】が日本独自の概念とは!

【生きがい(IKIGAI)】が日本独自の概念とは知らなかった。

毎日のブログを書く際に、キーワードと言える単語はとりあえずグーグルに放り込んで言葉の定義などを確かめてから書くようにしている。

今日のテーマは生きがいに定めたので、早速グーグルで検索すると生きがいとは日本独自の概念であるという説明が目に飛び込んできた。

全く知らなかったことであり考えたこともなかったのでとてもびっくりした。

大昔から西洋哲学でも幸福論は大きなテーマになっているし人種や文化関係なく所有する感情と信じていた。

そういえば西洋の幸福論は、幸福とは休日の朝布団にくるまって二度寝している心持ちだとか、幸福になるためにはつらい時に無理にでも笑うとか、幸福な状態を定義した上で精神・身体を幸福な状態に持っていくためのテクニックを説いていることが多いように思う。

現在に着目し、将来のことは不安をもたずに備えるくらいの扱いになっているような気もする。

生きがいとは幸福な未来との関連を保ちながら現在を生きるという、幸福感以上に時間の流れに寄り添った感情なのかもしれない。

これは最後の審判で復活するときに、若いころの肉体と年配の分別を持った理想像としての自分が出てくる宗教とそうでない宗教の違いなどの影響もあるのだろうか?

今日は死ぬまでにやりたいことをもう一度整理しようと思って自分の生きがいは何か考えようとしたら、言葉の定義のところで引っかかってしまった。

それもまたよし。

(閑話休題)

今日の写真は会社の窓から見える杉山である。

本社とはいえ三重の田舎にあるので、会社から山までの距離は200mもない。

会社と山の間いは、山と平行に走る片道1車線の基幹道路と多少の住居と田畑がある。

写真からもわかるように針広混交林でない杉山なので秋の紅葉はない。

春に花粉で黄色く染まるくらいで通常は常緑の山である。

やっぱり山を散策していても遠くから眺めても針広混交林の方が癒される。

私にとっては、心の癒しという意味でも生物多様性は重要であると思う。

テレワークでのんびり

8月に跳ね上がった三重県コロナの新規感染者数はここ数日一桁に戻っている。

感染者数に関係なく週に一回のテレワークがルーティーンになっていて今日がその日にあたる。

すっかりテレワークの気楽さに慣れてしまったので、コロナが収束した後もテレワーク習慣が継続することを心より願う。

新聞を読みながら朝食をとった後、30分ほど二度寝し仕事を開始する。

昼休みにはソーメンをすすった後、30分昼寝し、昼休みが終わる前に庭に生えた植物の名前を一つ調べる。

このようなのんびりした平日はテレワークならではである。

仕事中の隙間時間にはユーチューブで話し方トレーニングを行う。

話し方トレーニングが自己啓発として許されるのも、お客様相談室という職業柄である。

好日である。

今日の写真は庭に生えているランタナ(PictureThis調べ)で、中南米原産のクマツヅラ科の常緑小低木(写真は草本に見えるが)で和名は七変化である。

黒い実は哺乳類にとって毒だが鳥散布種子である(そう言った液果をもつ植物は多いらしい)。

昨日のハゼノキといい、鳥散布種子は町中の庭にも思った以上に生えてくるようだ。

60歳からのコーチングはどうだろうか

60歳からの人生をどうすごそうかと色々思案している中のひとつにコーチングがある。

仮に生活の糧とせずともボランティアなどでコーチングの技術が有効活用できると踏んでおり無駄になることはないという思惑である。

既にブログにもかいたが先日は無料のコーチング体験を受けた。

コーチングスキルの第一歩として「相手の話をよく聞き」、「適切な質問を投げかけ、本人が自力で答えを見つけるようサポートする」といった点がある。

仕事場における上司・部下ならともかく、会社の外でボランティアということであれば、「相手の話をよく聞く」以前に、相手が私に話す気になるような外見、身振り手振り、声質、話し方といった、いわゆる第一印象の部分が大きなポイントとなってくるであろう。

「相手を話す気にさせる」ために、滑舌を含むしゃべり方のトレーニングを行っている。

具体的には、魚住りえなどのアナウンサーがユーチューブで動画アップしている話し方の訓練を日々のルーティーンとして実行する形である。

パマタカラ体操、早口言葉やオーディオブックをなぞる形での音読などである。

コロナ禍の一次対応だが車通勤になっていることも音読の時間確保の追い風となっている。

今日、訓練の成果を早速実感できることがあった。

子どもの頃、口笛で吹くことが出来た、掲示コロンボのエンドに向けて音程が高く切りあがっていく主題歌が、いつの間にか口周りの筋肉が硬直して拭くことが出来なくなっていたのだが、訓練を開始してしばらくしてチャレンジしてみると見事に吹くことができた。

ちょっとしたトレーニングで加齢とともに衰えた機能が回復すると嬉しいものである。

色々と忙しい日々である。

今日の写真は庭に生えてきたハゼノキ(PictureThis調べ)である。

ウルシ科の植物で触るとかぶれる。

和ろうそくの原料である。

鳥が食べて庭に糞を落としていったのだと思う。

どこか山の中に生える木だと思っていたが、案外に身近なものであることに驚いた。

伯父の23回忌法要

昨日、コロナウイルスの予防接種した家内が発熱・頭痛でダウンした。

彼女の姉がなんともなかったので体質的に問題ないだろうと高を括っていたが甘かった。

仕事を早めに切り上げて弁当を買って帰ることにする。

私は19時過ぎに帰宅したのだが、頭は痛いままで熱も38.5℃あり一日ぐったりしていたようだ。

しんどい思いをしてまでワクチンを打ったことだし、少しずつ生活の自由度をあげていきたい。

緊急事態宣言が解除されたことを受けて、会社の対応も少しゆるくなった。

他県に外出しても、出社前の抗原検査で陰性となればテレワークの必要なく出社できるようになった。

11月7日には伯父の23回忌法要が計画されている。

法事への出席が2年ぶりの首都圏への旅となる。

母や姉夫婦、妹夫婦にあうのも2年ぶりである。

いろんなことが懐かしい。

ブログをはじめ、私もこの2年間いろいろと新しいことにチャレンジした。

コロナのおかげといえばおかげであるが、まずは久しぶりの東京を楽しみにしたい。

11月と思うとやや先のようにも感じるが2年待った身にはわずか1ケ月である

今日の写真は庭で栽培しているほうれん草。

二度の間引きを経て少し大きくなってきた。

図書館で「14歳からの哲学」を借りた

コロナ禍による緊急事態宣言下で閉鎖されていた図書館が10月1日より再開された。

返却できないまま約1ヶ月借りっぱなしになっていた本を返しに行って代わりの本を借りてくる。

小学校以来になるが最近はよく図書館を活用している。

街の本屋さんとは並んでいる本の数が桁外れで、ジャンルごとに本棚が二つも三つもある。

特定のジャンルの棚の前に立ちタイトルで本を選ぶという、本好きにはたまらないぜいたくができる。

今回借りてきたのは、下の4冊である。

『14歳からの哲学(池田晶子)』

『アドラー心理学入門(岸見一郎)』

『現代小説の方法(中上健司)』

『創作の極意と起きて(筒井康隆)』

オーディオブックでベストセラーの『嫌われる勇気』を聴いてアドラー心理学に興味をもったので、心理学・哲学の本棚から二冊を選ぶ。

あとはブログを書きはじめてから自分の文章の稚拙さに頭を抱えていたので創作文章の書き方2冊も借りる。

今日は家内がコロナワクチン2回目接種に行って休憩しているので私が家事をしている。

借りた本は根を詰めずにのんびりと2週間かけて読みすすめよう。

哲学や心理学というのは結局一度は引っかかってくるカテゴリーなのかもしれない。

55歳なりの読み方が出来ればよいなと思う。

ところで今日の写真は玄関の鉢のところにいたアマガエルである。

鉢のメダカ5匹を食べてしまったカエルである。

肥え太っている。

ブログを書いてよかったこと~医療費への気づき~

close up photo of a stethoscope
Photo by Pixabay on Pexels.com

昨日(10月1日)、歯医者に行った話を書いた。

歯医者以外でも医療費は増えていて私だけでも尿酸値を下げる薬や緑内障予防の眼圧を下げる薬などを服用している。

家内や子どもも含めると、それなりにお医者さんにいっている勘定になる。

大学時代は、真冬の札幌で酔っ払って路上で寝つぶれて目が覚めると自分の身体に雪が降り積もっているようなこともあったが風邪一つひかなかった。

社会に出た後も、20年以上、歯医者さんに歯石を取りに行く以外にはお医者さんにかかったこともなかった。

相互扶助的な保険料の仕組みに対し、割に合わないとおもっていたが歳をとるとお陰様と思うことが多くなった。

持病が出る年になって、一昨年から家族全員の医療費が10万円を超えて確定申告のお世話になることもあった(現在のレベルだと手間と受益のバランスから、確定申告はやらないことにして今にいたる)。

死ぬまでの医療費をざっくり試算してみたところ、私と家内でプラスになりそうな感じがあった。

比較的、健康だと思っていたが、人生の収支としてはマイナスなのだと思うと平等といえば平等なのだろう。

まだ頑張る!

ちなみに歯医者さんの腕はとてもよかった!

歯医者で考える

black and white dentist chair and equipment
Photo by Daniel Frank on Pexels.com

仕事帰りに歯医者さんに行った。

2週間ほどまえに、きつい歯ぎしりで縦に割れてしまった歯の治療の2回目である。

すでに抜歯済みの親知らずを勘定に入れない、残存した歯の左下の一番奥から一つ手前の治療である。

割れる前のかぶせ物をはがして、割れた形に合わせてセメントし、再度かぶせ直す予定だ。

今日はセメントまで実施した。

次回型をとってかぶせていく予定である。

設備の古い、年期の入った歯医者さんだが、腕は確かで安心感があった。

患部の治療の前に、歯石取りをしてくれたが、強く攻めてきて歯茎から血がたくさん出た。

終わった後の歯茎の収斂した感じのさわやかさが心地よかった。

経験の浅い歯医者さんは、痛くないことを是として、攻めが甘いことが多いが、歯石取りに限っては血まみれになる方が、効果感を強く感じるのは私だけではあるまい。

歯の治療の際に麻酔を受けたのだが、麻痺がきつかった。

治療途中で何回も歯医者さんからうがいの指示がでるのだが唇が麻痺して口に含んだ紙コップの水が左端から全部出てしまうのに閉口した。

口の一部が全く意思の力の及ばない状況を味わいながら、意識と動作が連動しない障害を持つ人の辛さを実感する。

うがいしながら水が駄々洩れなど、自分の体をコントロールしているという実感のあいまいさを感じた一日だった。

帰宅後、漏らしながらワインを飲むとなおった。

麻酔の切れる時間だったのか酒の効果もあるかは不明。

今日もお疲れさまでした!!

ワクチン接種は終わったが家族旅行まではあと少し!

hot air ballons in the sky
Photo by Francesco Ungaro on Pexels.com

二回目のコロナ予防接種をうった翌日、発熱も頭痛もなかった。

副作用といえば、注射部位の左上腕二頭筋に痛みが残ったくらいだった。

じっとしているとなんともなかった。

パソコン作業中にいつも肩の凝りをほぐす為にやっている、肩から大きく両腕をぐるぐる回す動作や胸をはり肩を広げ両側の肩甲骨がくっつくように肘を思いっきり後ろに引っ張るという運動をおこなったときにのみ、注射部位にひきつるような痛みを感じる程度であった。

会社で周りを見渡すと40代までの人たちが発熱などを起こして接種翌日に休むケースが多い。

トレーニングジムでタニタの体組成計のデータから示される肉体年齢は42~43歳なのだが、実際は年齢相当の身体というのが本当のところなのであろう。

ブースター接種などの話も出ているが、まずは2回目をクリアした。

次の日曜日に家内も2回目を接種予定である。

家内まで打ち終わってなんともなければ次は子どもへと進む。

全員打ち終わったら思いっきり羽を伸ばして旅行にでも行こう。

そんな話をしていたら高校受験を控えた娘から、『受験シーズンまっさかりだから春休みにして』と言われた。

家族同時並行で、もう少し早くワクチンを打っていれば受験シーズ前に動けたという見方もあるが、ファーストペンギンとならずに、二番手三番手でリスクを注視しながら慎重に進むという性向は変わらない。

そこは自己を肯定している。

旅行に行くのはもう少し時間がかかりそうである。

あわてないあわてない、一休み一休み!