そろそろブログのテーマを整理していきたい

flat lay photography of hand tools
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5月末にブログを開始して、かれこれ3か月になる。

ネット環境に不備のあった、二日間を除けば、毎日アップロードしている。

一般公開しているが、第三者が何かを調べたいと思って、目的を持ってググった時に、たどりつくような整理されたテーマを掲載しているわけでもなく、yahoo知恵袋で盛り上がるような世間一般の関心が高いテーマを扱っているわけでもない。

一応、【死ぬまでにやりたい10のこと】というテーマを掲げてはいるが、毎日、400字以上をノルマとして、ただ日記を書き連ねているだけである。

したがって、閲覧もコメント承認依頼もほとんどない。

ひたすら書き続けるうちに、自分の中で書きたいテーマが定まってくるだろうという考えのもとに、ひらめきがおりてくるのを待っているだけである。

テーマが絞られてきたら、その時点で、ブログのレイアウト、テーマの構成などを整理して、その上で改めて閲覧数も狙っていければという腹である。

三か月が経過して、漠然と浮かんできているテーマは、森林インストラクターを軸とした自然保護や子供への啓蒙につながる活動、コーチングに関するもの、出版にこぎつける為の一連の活動、日記、死ぬまでにやりたい10のことが浮かんでくる。

映像やメルマガなどもリンクさせながら、心地よいページを目指していく。

今日のフラッシュアイデアでは、引きが弱いように思えるので、お客様相談室なども候補に加えながら、ブラッシュアップさせていこう!

外圧で成長する我が人生、外圧をうまく利用しよう!

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価値のある人生を、死ぬときに後悔のない人生と定義した時に、試練を乗り越えた分だけ、人生の価値はあがっていくというのは、真実であろう。

試練と言えるものを思い起こしてみると、中二で欠席裁判のように選ばれた学級委員長の時代、現役最後のクリスマス共通一次模試で460点しか取れないで突入した浪人時代、皆から遅れて柔道部に入部し練習についていけるようになるまでのひ弱だった時代、同期の頭数が揃わず、予想外に指名を受けた柔道部の主将時代、上海に赴任し、現地法人を清算させた中国現地責任者時代などがあげられるであろう。

浪人時代は、勉強を楽しみながらやれたので、試練という感じはあまりなかったが、予備校に通う生活で、ノルマを果たす生活ではあった。

その瞬間がつらく、試練を試練として感じていた時は、自分の選んだ道であるにしろ、外圧に押しつぶされそうになりながら、時々、酒を飲んで記憶を飛ばしたりしながら、きつい圧をやり過ごしている間に、少しずつ力がついてきて、乗り越えてきたと思う。

乗り越えた後に乗り越えただけの自分が残り、乗り越える前のコミュニティに顔を出した時に、変貌ぶりに唖然とされることの繰り返しであった。

そんな時に、乗り越えた後になってみると、その期間は自分で自分を褒めたい時間として、記憶されていくのである。

そう考えると、極めて受け身的に外圧を受けずに、自分で自分を追い込んだ経験がない。

これから会社の外の時間で何事かなすためには、自分で自分を追い込んでいくか、外圧をうまく自分にかけていくかであるが、性格的に外圧をうまく活用していくのがよさそうだ。

本を一冊出版するという目標を実現させるためには、ノルマをこなす感じの外圧をうまく用意できるかがカギとなる気がしている。

盆休み明けのお客様相談室は、大忙し!

a woman working in a call center
Photo by Yan Krukov on Pexels.com

今日は、お盆明けの初仕事である。

Consumers相手の事業で、私の職種もお客様とダイレクトに接する仕事なので、休んだ分だけ仕事は溜まる。

今日も、メールや電話や郵送など、あらゆるインターフェイスで11日~15日のたっぷり五日分の仕事が待っていた。

頼りになるチームメイト達とこなしたけれど、今日は疲れた。

それでも帰りの電車では、森林インストラクターの参考書を読み込む。

同時並行的に、養老孟司を筆頭に、内田樹、畑村洋太郎や佐藤優、夏目漱石などアウトプットの役に立つ乱読も継続して行っている。

先日も書いたが、ネット囲碁や昔読んだ漫画のフリーソフトでの閲覧など、時間つぶしにはなっても、アウトプットにつながらない性質のものを限りなく削っていくように行動しつつも、森林インストラクターと文章を書く練習を両立させるには十分でなく、共倒れになりそうな予感とともに走っている。

まずは、睡眠時間を1時間ほどへらして、試験勉強に投入してみよう。

試験は、9月末で、もうすぐだ。

ブログ書くときにも、参考にしていたメンタリストのDAIGOが炎上中である。

生活保護受給者に生きてる資格なしといったとか。

そういう失敗をしない感じの人だったのに、難しいものだ。

人柄においてすら、天網恢恢疎にして漏らさず。

他山の石とすべし。

ニジマスを釣ってたべる。命をいただく。

お盆の最終日、美杉にある、大吉アマゴセンターへ、娘の友人家族と一緒に、ニジマス釣りに行ってきた。

当初は、アマゴの摑み取りを予定していたが、連日連夜の雨で、水量がやや多めで、衣服もびしょぬれになりそうだったので、安全第一で釣りを選択した。

摑み取りはアマゴで、釣りだとニジマスになるらしい。

天然の河川水を利用した生け簀で、ニジマスの警戒心は薄く、ハムとコーンを釣り餌に戦果を重ねた。

友人家族と合わせて、39匹を釣り上げた。

最初、29匹を釣り上げ、10匹を塩焼き、5匹を刺身、14匹を唐揚げに調理してもらう間に、さらに10匹を釣り上げた勘定になる。

ニジマスの刺身は、脂がのっており、塩焼きも唐揚げも臭み一つなく、大変、美味であった。

残った10匹は、ワタをのぞいてもらい、各家族5匹ずつ、生で持ち帰ることにした。

子ども達が自分で釣った魚を美味しくいただき、生命の循環を味わう体験を持つことは、大変、貴重であり、よいお盆休みとなった。

私たちの細胞は、約3か月でほとんどが入れ替わる。

入れ替わる細胞のもとになるのが、今日食べたニジマスであり、米であると実感してもらえると嬉しい。

私を構成する炭素や窒素などが、昔は、恐竜やトンボやひのきだったかもしれないと考えるとつながっていると実感できる。

いろんなことが小さく思えてくる。

図書館でレジリエンスの本を借りてきた

assorted books on shelf
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三重県立図書館で、「なごみ歳時記」、「レジリエンス入門」、「オウンドメディア」、「ラノベ小説の書き方~プロット編~」を借りてくる。

「レジリエンス入門」を読了する。

我が家の蔵書である畑村洋太郎「わかる技術」を読む。

基本は、図書館の本を読んでいるが、入浴の時など図書館の本を読めないときに、蔵書を読むというパターンである。

箸休めのような感じで、気分転換にはよい読書法と思う。

図書館に通うと、思いがけない連想が展開するし、連想に応える蔵書があることから、借りてくる本がバラエティに富む。

そう言った事情で、上記のようにバラエティに富んだ、借り受けになる。

レジリエンスに関しては、「打たれ強さ」を下記進める為の参考書として借りたが、なるほどと感心するところの多い本だった。

レジリエンス自体は、物理学用語でストレスを跳ね返す力である。

邦訳すると「メンタルタフネス」、「ストレス耐性」、「心の自然治癒力」、「心の筋肉」などと訳される。

鍛えれば強くなるものと扱うことや鍛える方法としての呼吸法のように、他の図書と共通している点は多くあるが、学術成果と実体験をちりばけることで説得力が出ている。

私は、どのような【売り】を付帯出来るかが勝負どころである。熟考せよ!

養老先生の講演会の抽選に漏れてしまった、次こそきっと!

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お盆休暇三日目、夏目漱石の「三四郎」を読了する。

熊本から出てきた、大学生が、指導者や先輩、友人に囲まれて大学生活を送りながら、恋をして失恋して成長していく青春小説だった。

当時の事は知らないが、今では、いかにもありがちなストーリーなのだが、叙景文・人情の機微・たとえ話の選び方などが秀逸である。

盗んで役立てよう。

「ライトノベルの教科書(文章技術編)」も読了した。

キャラクター、設定、文章の構成などの考え方を学ぶ。

他には、森林インストラクターの過去の資料をファイリングしたり、勉強したりして過ごす。

のんびりとした一日であるが、時間を無駄に過ごしていないか、やることをやっているか、胸が毎日ドキドキしている。

進むべき道を進んでいるのかなど、現在と将来に対して不安を感じているのであろう。

不安を、新しいことに向かうワクワクと捉えなおして、毎日を過ごしていこう。

去年の今頃も、物販が出来ないか模索し、ドキドキ暮らしていたよね。

8月21日の養老先生の講演会の抽選に落選する。

残念だった。また挑戦しよう。

「死ぬまでにやりたい10の事」なんだから。

知床にも屋久島にも行きたいし、これからだ。

夜は、焼肉を食べて、ビールを飲んで刹那的に過ごす。

盆の焼肉 ~夏目漱石、三四郎~

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お盆休暇二日目、森林インストラクターの「林業」の勉強と夏目漱石の「三四郎」の読み込みにあてる。

森林インストラクターの「林業」は、テキストには、さほど時間を使わずに、過去問をしっかりとやることで合格できそうな印象だった。

このお盆の間に、二回ほど、通しで読んで、後は過去問で満点取れるようにすれば何とかなりそうだ。

森林インストラクターとブログなど、やらなければいけないことがいろいろある。

大事に過ごして、テスト対策や筆力を上げるのが良いのであろう。

明日晴になれば、焼肉をやることにして、イオンに、買いに行く。

サガリ、ミノ、タン塩、カルビなどを買う。

今日は、天気が悪く、炭火を使ってのバーベキューは、明日の実現に託す。

家内は、断捨離のビデオを見て、その気になって励んでいる。

俺も協力するので、すっきりのんびり過ごそうね!

三四郎」は、青春恋愛物語なのだが、情景描写がすごい。

参考にしながら俺のスタイルを探そう!

いろいろとあるよね!

脳が忙しいと、きっと幸せなんだろう!

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お盆休み初日である。

この五連休は、老後の時間の過ごし方をイメージしてくらしてみよう。

起床後、1時間で、朝食と新聞をこなす。新聞を読む過程で、社説の音読やパマタカラ体操などしゃべり方のトレーニングを行う。

朝食後、家内は仕事に向かい、掃除、洗濯、炊事を3時間ほどかけて行う。

読んだり書いたりで3時間ほど過ごし、ヨガに1時間かけると、あっという間に、1時間は過ぎていく。

藻谷浩介の講義に申し込んだり、歯医者の予約を行なったり、ほうれん草の種子を買いにいったりして、色々と過ごす。

漠然と思うのは、ぼーっとした時間を過ごす時間の余裕は、あらゆる意味でないのであろう。

結局、貧乏暇なし、わずかな隙間時間も能力の許す限り、脳を休ませずにいることが、幸福なのであろうという結論に近づきつつあるが、結論はもう少し待つことにしよう!

焦らず、騒がず、ゆっくりとね!!

明日からお盆休み、充実させよう!

yellow die cast miniature van on brown sand
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明日から、お盆休みで5連休である。

2020年1月から、コロナ騒動が始まって、帰省できない二度目のお盆となる。

県外に出る予定はなく、母や義父母と会う機会もない。

GW、年末年始も含めて、長期休暇を自宅で過ごしている。

それがゆえに出来たことも多く、森林インストラクター、ブログ、幸福論などの自己啓発に時間を割けている。

この時間を大事にしながら、3年後5年後のアウトプットにつなげていこう。

この5日間は、図書館から借りてきた本を読み倒す、一日3時間は、森林インストラクターの勉強や打たれ強さなどの書きものに時間を充てることにしよう。

あとは、筋トレ、散髪とアマゴくらいか。

アマゴは娘の習い事仲間の運転手として同行を予定している。

毎日、どっぷり思考に浸りながら、ブログでアウトプットを行っていく予定である。

囲碁クエストと時間の使い方

small white dice placed on wooden table
Photo by Masood Aslami on Pexels.com

囲碁クエストというフリーの対戦型囲碁ソフトを使っている。

6年前に単身赴任していたころからの手慰みである。

級位は1級で、有段者を目指してやってきた。

アマ4段の義父に、4子おかせてもらって良い勝負なので、ここでの級位は、19路盤における実力とほぼ同じと考えてもいいのではないか?

通算成績は、15,086勝13,269敗1,014分け(合計29,369局)である。

対局者は、各々3分持ちで、一局の平均時間を5分と考えて計算すると、146,845分になる。

時間に換算すると2,447時間となる。

仕事や睡眠を除く、一日の時間を8時間と考えると、306日も囲碁クエストだけ、やっていた勘定になる。

ブログを始めたことで、生きる意味や幸福などについて改めて考える機会が増えて、どのように充実した毎日を送るかを考えている中で、時間泥棒に分類し、少し距離をおくことにしよう。

他にもバズビデオなどの使い方を見直しながら、QOLを上げていこう。

定年まで4年、年金生活まで10年。

残された時間の少なさに気付き始めた今、一流になりえない趣味に費やす時間はない。

教養として、ルールくらいは知っているという位置づけで、脇においておくことにしよう。