さらば次元

昨日、声優の小林清志さんが逝去した。

謹んでご冥福をお祈りしたい。

ルパン三世の次元大介役をはじめとして数々の作品で楽しませてもらった。

ルパンシリーズは、ルパンや次元などの主役達がいざというときでも笑って死んでいくような余裕を感じさせる雰囲気が凄く好きだった。

56歳にもなると子供の頃に活躍していた方の訃報を聞くことが多くなってくる。

ふと我に返り回りを見渡すとスポーツ選手はもとより、政治家・言論人など比較的年配の方の多い職業でも私より若い人たちが活躍していることを多くみる。

世代交代の波を感じながら年を取ったことに気付いていくのだろう。

『若気のいたり』という言葉がにあわなくなり、『年甲斐もなく』と言われることが多くなる頃だが、いつまでも年甲斐もなく過ごしていきたい。

死に臨んで笑って過ごすような雰囲気を漂わせながらね。

(写真は映画『カリオストロの城』から)

知人が出版した。頑張りを見習おう。

知人が本を出したので、読みたい気持ち半分・応援する気持ち半分でアマゾンに注文していた。

昨日、本が届いてパラパラとめくってみる。

著者は音楽療法士で、タイトルは『ピアノde脳トレ(つた書房)』という本だ。

前半は人生100年時代のピンピンコロリの大切さに始まって食事や睡眠の重要性などについて語り、後半はピアノを弾くことがいかに脳に有効か語り、実際に簡単な曲を弾いてみるまでの技術の話、最終章はまたピアノを離れて、脳に聴く生活習慣全般の振り返りと推奨でおわる。

ピアノによる音楽療法という専門を脳をぼけさせないために何をするかという間口の広い話でサンドイッチして中高年以降であれば皆興味をもつような作りにしていた。

事前情報として、『音楽療法で本を出版する』という話だけ聞いていたので、専門的な内容かと思っていたが、こんな感じに仕上がるのだと感心した。

大したものだ。みんな頑張っている。

人の頑張りを感じながら自分も頑張っていこう。

昨日は夜にコーチングのセッションを行った。

いいセッションができて継続的にやろうかという話になった。

一歩一歩。

後輩キャラからの脱皮

高校生になってから20cmも背がのびた。

それでも168cmなので中学生ではとても小さい晩熟のタイプだった。

愛嬌も比較的あるほうであり、複雑な家庭環境で育った陰のあるタイプのクラスメートから、何も考えずに幸せそうでむかつくなどといって敵視されたこともあった。

身長150cmに満たない男子中学生など女の子にもてないし悩みは多くあったのだがそれが表に出てこないらしい。

マスコットというにはかわいげが足りないので、一言で表すと後輩キャラだったと言える。

身長が伸びて柔道のおかげで身体が人並み以上に出来てきてからも、三つ子の魂百までじゃないが後輩キャラ一直線だった。

社会に出た後も自分の未熟を補うのに精一杯で後輩に対して面倒見のよい先輩だったとは言えないと思う。

組織には新陳代謝があり、卒業や定年、入学や入社で毎年すこしずる組織の中で年をとり、高配も増えるのだが、沢山の後輩と一緒に仲良く酒を飲んだりしながら、少し先をいく先輩をロールモデルとしてともに研鑽している感じだった。

突然、状況が変わったのは中国に赴任したタイミングだろう。

現地責任者として赴任して毎日いろんなことが起こった。

問題がおきても現地スタッフは、『何をしたらいいか指示をくれ』といった感じでこちらを見つめる。

最初はおっかなびっくりでも腹をくくってどんどん決断していった。

あの時代に一皮二皮向けて後輩キャラを卒業したように思う。

現在は56歳で、どこにいっても先輩扱いされてしまう年齢だ。

前職のOB会に行くと、早期退職した私はバリバリの若手なのですっかり手下扱いである。

もともと後輩キャラの私には嬉しい場だ。

コロナの影響で二回ほど中止になっていたが、今年は三年ぶりに開催するという案内があった。

楽しみにしている。

朝四時過ぎにブログを書く

今朝は四時に起床しブログを書いている。

このところ一日を有意義に過ごすために、どのようなルーティンを組めばよいか考えていた。

早起きして朝を活発に行動することが一番よいとわかってはいたが週一金曜日の外部の朝活への参加以外は、時間いっぱい寝ていたし、仮に早起きしても新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりしていた。

いつもの朝を前倒ししている感じだ。

そうすると寝ている間に夢の内容や頭の中で整理された思考が新聞で上書きされて忘れてしまうことに気付いた。

朝四時に起きた時も、朝六時に起きた時と生活パターンを同じにして新聞は六時以降に回して、それまでの二時間を新しいことにあててみようと思いいたった。

朝四時に目を覚ました後、寝床で十五分ほどストレッチして今ブログを書いている。

丸一日仕事をして帰宅すると、身体の疲れではなく頭と心が凝り固まって、私生活の方後からの抜けた文章がなかなか書けないのだがだいぶましである。

八月の始まりから、この調子でやってみることにしよう。

ブログを書く以外にも週末起業の作業もこの時間にやろう。

今までより進むに違いない。

七月の終わりからトンボがやたらと目につくようになってきた。

秋の虫も少しずつ鳴き始めている。

セミの声で夏の始まりを感じて、今、秋の気配を感じはじめている。早いものだ。

三年ぶりの花火と美容院

津花火大会が昨日、三年ぶりに開催された。

コロナ第7波への配慮もあって、時間は30分に短縮されて露店も出さないそうであり、おとなしめにしたそうだ。

打ち上げ会場は、阿漕海岸という海水浴場なのだが、人混みも怖いので私たちは河口の汽水域くらいまで遡ったところで鑑賞した。

それでもやはりリアルの花火はよかった。

目で見て、耳で聴く以外に、空気の振動を全身で感じることが出来るのが特に良い。

土曜日は朝4時に起床して朝食の準備や新聞を読んだりした後、7時からコーチングセッションを受けた。

隔週で三ヶ月、合計六ヶ月やって気付くことが多かった。

私もメンターコーチを探すことにしよう。

次にやるべきこともだいぶんと見えてきた。

そちらに向けて進んでいく。

午後は美容院に行って髪を整える。

気の利いた髪型にしてもらおうと思ってここ三ヶ月ほど生まれて初めて美容院に行っているが接客などで教わることも多い。

頭を刈るだけのフランチャイズチェーンの床屋さんは回転率勝負で態度の悪い店員さんも多いが美容院はその場所にいる時間をトータルで快適なものにしようと気を遣っているように見える。

場所の雰囲気がいいことを素直に店員さんに伝えた。

美容院では出来ない顔剃りも好きなので普通の床屋さんと隔月で通うつもりであることを話して、今日の髪型を維持する為に床屋さんに行った時のアドバイスを教わった。

一ヶ月前にカットしたので、その状態に戻してほしいと言えばよいとのことだった。当たり前といえば当たり前だがなるほどと関心した。

次はそれで行こう。

庭のきゅうりが豊作

庭のきゅうりが豊作だ。

5月のはじめに苗を二つ植えて、気温が上がりきらない中、一つは枯れた。

残った一つも葉っぱは皆うどんこ病にかかって白くなってしまって諦めかけていた。

二つ三つ花は咲いたが実が太る前に皆黄色くなって落ちてしまっていた。

唯一残った実も本来であれば後の豊作のために摘果するほうがよいのだが、最後の一つ二なるかもしれないと思って、そのまま残して小さい内に収穫して食べた。

梅雨があけて晴天が続くようになってから猛烈な勢いで葉が出て背丈が伸びて一気に実がなってきた。

4人家族には一つの苗で一夏いけそうな勢いである。

家庭菜園をやっていると、温度・湿度・肥料・水やりなどのちょっとした天候と手間の違いで大きく育ったり枯れてしまったりすることがよくわかる。

人間も同じだと実感する。

自分がここからさらに一皮むけてもう一つ高みにのぼろう、何者かになろうとしたときに、よく食べてよく寝て気持ちの良い人たち過ごすといったような環境を整えることが重要なのだと思う。

自分にとっての最適の状況・環境が何かをよくみきわめて整えていこう。

明日はきゅうりだ!

生活の波(バイオリズムや星占い)

昨日は何度か目が覚めて今朝の目覚めは今一つだった。

原因の特定出来ない睡眠の良い日、悪い日がある。

身体・知性・感情の3つの波から好不調を見るバイオリズムは疑似科学とは言われるがやはり何かそういったことが影響を与えていそうな感じはする。

四柱推命や星座などの占いだったり、『禍福はあざなえる縄のごとし』といった感じで、いろんなことが波状によくなったり悪くなったり繰り返すことが多い。

光は粒子でもあれば波でもあるし、季節も朝昼晩を繰り返しながらすこしずつ動いていく。

自然現象の中で生物として生きる以上は当然なのかもしれない。

元気な時には張り切りすぎて疲れることが多いし、おなかが減りすぎると食べ過ぎて胃がもたれるし、良くも悪くも振れて当然なのかもしれない。

腹八分とか中庸とかは、そこいらのことも戒めているのかもしれない。

よく生きようと思ったら、積極的に新しい体験をしたり、やりたいことをやっていくのが好ましい。

限界を超えないぎりぎりのところでリズムを整えながら日々過ごしていこう。

写真はアオスジアゲハ。

見つめていると飛び立った。

野生の生物は視界に入っていても動かないのに意識を向けると逃げることがよくある。

視線も何かを出しているなどと思っている内に波のことを考えていた。

先輩の記事を読み、鶏飯を食べながら今の自分を思う

大学時代の一つ上の先輩が掲載されている記事を友人がLINEで送ってくれた。

大学時代からカリスマ性のあった人だが社会に出てからも多方面で活躍されている。

今回は医師としての側面から医学雑誌に載っていた。

記事の中に数枚写真が載っていて何とも優しげな厳しげな表情で写っていた。

常にストレッチした目標を掲げて、その目標に向かって一心不乱に突き進みつつ、周囲への目配り・やさしさを忘れずに生きてるとあんな感じになるのかもしれない。

妻に記事を共有して感想を求めると、俺の意見に同意しつつも俺の顔も年々よくなっていると言ってくれた。

実は自分でもそう思っていたので嬉しかった。

俺は56年の人生の中で今が一番よい顔をしている。

到達できる高さは違っても私なりに加速度をつけながら登っていく。

コーチングも楽しみながらやっていきたい。

妻の故郷の名物である鶏飯を食べながらそう思った!

鈴なりのセミ

鈴なりのセミ

昨日が仕事だったので休日のルーティンを一日に詰め込む。

朝一でコーチングのセッションをこなした後にジムでトレーニングをする。

コーチングもジムも最初は億劫だったがやっている内に段々と楽しくなる。

若い頃の柔道の練習と一緒だ。

自分のレベルがあがると楽しめるようになってくる。

ジムから帰って昼飯を作る。

土用の丑の日の売れ残りで安くなっていたうなぎを日本酒で煮切ってふっくらさせたあとにオーブントースターで表面をカリッとさせて皆で食べた。

美味しかった。

昼食後は少し休憩した後に本屋さん、図書館へと行く。

本屋さんへは家族4人で行った。

最近は子供達が忙しいので4人で外出するのは久しぶりだ。

子供達が本を選んでいる間に田舎暮らしの本などを少し立ち読みして、図書館に向かう。

借りてきた本を返して次の本を借りるという作業もだいぶんとルーティン化してきた。

今年になって80冊以上読んでいるが、最近は14歳向けのシリーズにこっている。

まだまだ読書のスキルが足りておらず勉強をやり直している感じである。

どんどん読んでいく。

行き帰りの図書館の土手に生えている草花にセミの抜け殻が鈴なりになっている。

10mくらい進む間に5つくらいあった。

命を感じた!

土曜日のテレワーク

私の働いている会社では年に2回土曜日に仕事があり、今日がその日であった。

8月1日を期初としてあり上下半期末に全社で成果発表を行っている。

以前は本社に全社員が集結する大イベントだったので休日に設定し、翌日は普段なかなか会えない人とゴルフをすしていた。

今も土曜日に行われているが、現在は皆ZOOMで参加している。

自分のパートは少しだけで基本的には聞き役に徹する一日である。

大きな声では言えないが、個人のパソコンを横において電気などの生活インフラの契約見直しや帰省した時の予定をたてるなどして参加した。

ストレッチもした。

通常の土日に一日パソコンに座っているというのは、もったいなくてなかなか出来ないが、一日パソコンに向き合うと覚悟を決めていると色々なことがはかどるものだ(内職であっても)。

昼休憩の1時間の間には洗濯ものを干したりトマトやきゅうりのわき芽をつんだりしながら太陽光を浴びてリフレッシュした。

今年のお盆は家にいて、時期をずらせて帰省する。

お盆の間にパソコンに向かう日を作ってコーチング環境を一気に整えたいと思った。