家庭を持って、難しいことを考えなくなった

pagoda in gray scale shot
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今日は、疲れた。
コロナ禍で、テレワークが増えてるのか、問い合わせがひっきりなしである。
来た球を打ち返しているだけで、一日が終わる。
若いころは、毎日、時間をつぶすことが苦痛な時もあった。
当時は、一人でテーマをかかえて仕事をしており、一日を埋めるだけの実験の計画が組めないこともあった。
そのころは、体を動かすだけの単純作業は、時間が早くたつので、むしろ歓迎していた。
今は、時間に忙殺されていると、こんなことをしている場合なのかと思う事も多い。
昔は、何のために生まれたのか?自分は生きている価値があるのかなどと、考えることも多かったが、結婚して、子供を持つと、毎日をせっせと生きて、子育てしていれば、それでいいのだと思う。
ニヒリズムからの解放である。
それでも、日々を回しながら、人生の残り時間も決して多くないことを思うようになった。
自分なりに一生懸命生きてきて、わが人生に大きな悔いはないが、ここから先で、きちんとしたアウトプットを行わないと、悔いを残す。
ここからが本当の勝負になってくる。
あと20年、楽しく有意義に過ごすべし!

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