ライトレによる本日のお題→時計、動かない、おじいさん
お題を聞くと誰もが、子どもの頃によく聞いた童謡である「大きな古時計」を思い出すのだろう。
最近では、平井堅のカバー曲を思い浮かべる人が多いかもしれない。
おじいさんの生まれた朝に来た時計が100年間の時をへて、おじいさんのなくなった日に動きをとめたという歌詞である。
私にとっては、じっくりきくと何ともせつない気持ちがこみあげてくる歌である。
せつない気持ちを文章で伝えたいと思っているが、一番簡単な方法というのは心理描写で感情を描くよりは、せつなさを感じる風景を共有するのが簡単なのだろう。
ただ、皆が、この歌でせつなさを感じるのかが、私にはよくわからない。
なぜなら、私の祖父がなくなった日の出来事を思い起こした時にも、神秘的な出来事があった経験があるのだが、私はそこに切なさを感じることはなかったからである。
その出来事とは、私が物心ついた時から家にいた老齢のオウムが、まったく卵をうまなかったことから、オスだとばかり思いこんでいたのだが、おじいさんの亡くなった日に、初めて産卵して雌だと判明したのだ。
この時は、神秘的なできごとに対する敬虔な気持ちがあるのみで、切なさを覚えることはなかった。
二つのエピソードの違いのどの部分で、私の感情のどのスイッチが押されるのか、もう少し自分の感情を観察し続ける必要がありそうだ。