ブログと読書

平日のお酒を控えるようになって1年間になる。

就寝時刻までお酒を控えるための時間つぶしのツールとして始めたブログも同様に一年になる。

ブログを書くだけでは禁酒した夜の長い時間を過ごすのに十分ではないので本でも読んでみようと思って図書館通いを始めたのも去年の今頃である。

一回に五冊、貸し出し期間で2週間のペースで読み進めてきた。

図書館で借りた本だけでもかれこれ70冊以上になる計算である。図書館通いが始まった1年前には幸福とは何か?生きる意味とは?など昔ながらの哲学的な問いの本を手に取ることも多かった。

ブログを始めた際も死ぬまでにやりたい10のことがテーマだった。

山を買おうとかいろいろと考えた。

名前をしっているだけだった『純粋理性批判』なども初めて読んだ。

この一年間は自分がいかにものを知らないかにあらためて気づく営みであって、夏目漱石などの古典を経由しながら、現在、『ちくまプリマー新書』や『岩波ジュニア新書』などの中高生向けの様々な本を読みあさるところにたどり着いた。

本とは体験であると少し実感できるようになったように思う。

あらためてここからスタートして少しでも本ときちんと対話できるようになりたい。

夜の間が持たずに始めたブログのはずなのに、読書も含めて時間の不足にひぃひぃ言っている。

よく暮らしているのだろうと思う。

インプットだけではだめと気づいたのもこの一年間のことであるので学んだことをアウトプットするように心掛けつつ、次の一年間に突入する。

現時点の総括は以上になるが来年の今頃、何をかいているか楽しみである。

春にうるかをいただく

少し春めいてきてスーパーにも春の山菜が並んでいる。

今日は【うるか】を購入した。

この間食べた、こごみなどと違ってアク取りは不要であり、そのまま茹でてしまって酢味噌でいただいた。

タラノメやふきのとうのようにホロ苦味や峻烈な香りはなくあっさりとした味わいだが、見た目も含めて春の息吹を感じられる一品だった。

少しでも新しい経験・体験をするということを行動目標にあげていて、【うるか】の喫食も初めての体験だった。

食体験を充実させるという目的で、先日購入した完全栄養食のパンだが胃を完全に空っぽにして改めて食べたがそんなに美味しくはなかった。

微量ミネラルなどは通常の食事の中で補われるのか、欠乏した時に食べるとダイレクトに美味しさに直結するのは糖質、脂質、水分、塩分、アミノ酸ということで自分なりに理解した。

このようにして身近なところに立てた問を少しずつ自分なりに結論として持ちながら暮らしていく。

【生きるとは?】などの昔からよくある哲学的な問に対しても自分なりの解を持ちたい。

沢山の問に対する回答の組み合わせの中で自分がどういう人間か明確になっていくのであろう。

最後は哲学に行くのだろうか?

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Photo by Pixabay on Pexels.com

ブログを書き始めて5ヶ月になる。

毎日を楽しく暮らすにはどういう心持で過ごせばいいのか?

死ぬまでにやりたいことは何なのか?

などと自問自答しながら書いていると、自分の思考が浅いことに気づく。

幸福とは何かなど考えを進めていくと自分の中で完結せずに堂々巡りになることが多い。

先人に学ぼうと考えて図書館に通い、幸福論などのキーワードで検索を掛けては本を借りてきている。

そんなことを繰り返していると、結局大昔からの哲学的および宗教的命題などに行きつく。

昔、野坂昭如がサントリーゴールドのCMで歌っていた通り、【シェークスピアもプラトンもニーチェもサルトルも皆悩んで大きくなった】のである。

2000年以上たっても人間は同じようなことで思い悩む。

しかも2000年もたっているのに、また先人の書を読んでいるのに、私ははるかにレベルの低いところであーでもないこうでもないと唸っている。

言葉とは?考えるとは?死とは?・・・お金がなくても退屈しない自信だけはついてきた。

今日の写真はフリー画像からダウンロードした白髭神社である。

図書館で「14歳からの哲学」を借りた

コロナ禍による緊急事態宣言下で閉鎖されていた図書館が10月1日より再開された。

返却できないまま約1ヶ月借りっぱなしになっていた本を返しに行って代わりの本を借りてくる。

小学校以来になるが最近はよく図書館を活用している。

街の本屋さんとは並んでいる本の数が桁外れで、ジャンルごとに本棚が二つも三つもある。

特定のジャンルの棚の前に立ちタイトルで本を選ぶという、本好きにはたまらないぜいたくができる。

今回借りてきたのは、下の4冊である。

『14歳からの哲学(池田晶子)』

『アドラー心理学入門(岸見一郎)』

『現代小説の方法(中上健司)』

『創作の極意と起きて(筒井康隆)』

オーディオブックでベストセラーの『嫌われる勇気』を聴いてアドラー心理学に興味をもったので、心理学・哲学の本棚から二冊を選ぶ。

あとはブログを書きはじめてから自分の文章の稚拙さに頭を抱えていたので創作文章の書き方2冊も借りる。

今日は家内がコロナワクチン2回目接種に行って休憩しているので私が家事をしている。

借りた本は根を詰めずにのんびりと2週間かけて読みすすめよう。

哲学や心理学というのは結局一度は引っかかってくるカテゴリーなのかもしれない。

55歳なりの読み方が出来ればよいなと思う。

ところで今日の写真は玄関の鉢のところにいたアマガエルである。

鉢のメダカ5匹を食べてしまったカエルである。

肥え太っている。

合わない人とは付き合わない。正or誤?

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Photo by Wendy van Zyl on Pexels.com
このところ静かにしている、メンタリスト・ダイゴではあるが、彼の超性格分析というアプリは、重宝している。
これは、性格をメンタルの強さや勤勉性などの5つの要素に分けて、各要素ごとに、各5タイプ用意された性格タイプのうち、自分がどのタイプかを判定し、総合的にどのような性格傾向があるかをはかるソフトである。

最終的には、性格のあう異性とのマッチングアプリとして売り上げに結びつけているものだが、毎日の無料のワンポイントアドバイスを受け取るだけでも楽しめる。

ワンポイントアドバイスは、各要素に対し5~6種類くらいあり、約1ヵ月程度で一巡している感じだ。

今日のアドバイスをひと言に要約すると、【愚かな人とは付き合うな】ということにつきる。

幸福論などの哲学やアドラーなどの心理学も、どうしても会わない人とは無理に付き合う必要はないというところで着地していると思う。

ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、ゾロアスター教などの最後の審判も、駄目なものは駄目といっているという解釈でよいのかな?

仏教における衆生済度は、どうなのであろうか?

私としては、【愚かな人とは付き合わない】がピンとくるし、心理学的には結論が出ているように思うが、いろんな宗教や哲学がどのような考えでいるか、もう少し整理することにする。

仕事などの関係性の中で、【愚かな人とも付き合わなければならない】というケースも多くあるだろうし、
テーマとして、頭の片隅に置いておこう。