価値のある人生を、死ぬときに後悔のない人生と定義した時に、試練を乗り越えた分だけ、人生の価値はあがっていくというのは、真実であろう。
試練と言えるものを思い起こしてみると、中二で欠席裁判のように選ばれた学級委員長の時代、現役最後のクリスマス共通一次模試で460点しか取れないで突入した浪人時代、皆から遅れて柔道部に入部し練習についていけるようになるまでのひ弱だった時代、同期の頭数が揃わず、予想外に指名を受けた柔道部の主将時代、上海に赴任し、現地法人を清算させた中国現地責任者時代などがあげられるであろう。
浪人時代は、勉強を楽しみながらやれたので、試練という感じはあまりなかったが、予備校に通う生活で、ノルマを果たす生活ではあった。
その瞬間がつらく、試練を試練として感じていた時は、自分の選んだ道であるにしろ、外圧に押しつぶされそうになりながら、時々、酒を飲んで記憶を飛ばしたりしながら、きつい圧をやり過ごしている間に、少しずつ力がついてきて、乗り越えてきたと思う。
乗り越えた後に乗り越えただけの自分が残り、乗り越える前のコミュニティに顔を出した時に、変貌ぶりに唖然とされることの繰り返しであった。
そんな時に、乗り越えた後になってみると、その期間は自分で自分を褒めたい時間として、記憶されていくのである。
そう考えると、極めて受け身的に外圧を受けずに、自分で自分を追い込んだ経験がない。
これから会社の外の時間で何事かなすためには、自分で自分を追い込んでいくか、外圧をうまく自分にかけていくかであるが、性格的に外圧をうまく活用していくのがよさそうだ。
本を一冊出版するという目標を実現させるためには、ノルマをこなす感じの外圧をうまく用意できるかがカギとなる気がしている。