がれきの下

職場近くの建物の取り壊しがあった。

しばらくの間はビルから中庭に向かって椅子や机などを放り出す日が続いていて解体の予兆だけ感じていた。

ある日から敷地全体を防音シートで覆って本格的な取り壊しが始まった。

今日、騒音を伴う工事が終わったようで防音シートが取り除かれていた。

驚くことに今にも畑になりそうな良さげな土がむき出しになっていた。

元々、農地だったところにコンクリートを敷き詰めて隣接する道路にアスファルトを強いて商業化したのだとすれば不思議でもないことなのかもしれないが少し感じるところがあった。

建物が消えた側からの視点、もともとは農地だったものがあらわになった側面を見る視点などいろいろな角度から眺めることができそうではあるが、諸行無常と言うよりは一皮むいた後にたくましさ・強さが残っているような感じを受けた。

昨日のブログタイトルにもした『夜と霧』を読了した。

作者は心理学を専門とする医者であり、ユダヤ教徒だが、極限的な状況下で宗教的な思念を入れることなく極めて淡々となかばユーモラスに強制収容所での日々を描く。

多くの囚人が自死を選ばずに懸命に行きようとするのはぼんやりと考えるゆとりもなく突然に極限下に放り込まれたからなのか宗教的なものなのか?

レベルは天と地ほども違うが柔道部の練習がつらくてどうしようもなかったときに思考停止して乗り越えてきた延長線上にある世界なのか?

しばらくは夢に見て、そしてまた見返す本になるのだろう。

『宗教で読み解くファンタジーの秘密』・『夜と霧』

『宗教で読み解くファンタジーの秘密Ⅰ』を読み終わった。

もともと活字中毒ではあったのだが、このところ少し重ための本をよく読んでいる。

巻末の解説・書評を読むといつも深い読み方ができるものだと思って感心ばかりしていたが、この本を読むことで少しわかったことがあるように思う。

タイトルからわかるようにキリストや仏陀の救済物語をベースにおいて、星の王子さまにおける子供と大人の二項対立や風の谷のナウシカの集団の罪を購い死に再生するという物語を宗教説話に突合させて比較していくという書き方だった。

何かと比較しながら解釈していくと深く読めるということを教えてくれる本であった。

参考になった。

著者は中村圭志という人で、著者略歴を読むと大学の先輩だった。

同窓が頑張っていると思って少し嬉しかった。

次は『夜と霧』を読む。

強制収容所の話で昔から気になっていたのだついに借りてきた。

読み始めてすぐに重たい。

昨日は子供の通う中学で体育祭の予定だったが子供の通う中学の同級生が交通事故で亡くなったということで中止との連絡が来た。

子供がなくなる話を聞くとやりきれない気持ちになる。

大学時代の友人が卒業式の写真を送ってくれて懐かしかった。

少しもの悲しい気持ちにもなった。

秋でもないのに色々と物思う日であった。