職場近くの建物の取り壊しがあった。
しばらくの間はビルから中庭に向かって椅子や机などを放り出す日が続いていて解体の予兆だけ感じていた。
ある日から敷地全体を防音シートで覆って本格的な取り壊しが始まった。
今日、騒音を伴う工事が終わったようで防音シートが取り除かれていた。
驚くことに今にも畑になりそうな良さげな土がむき出しになっていた。
元々、農地だったところにコンクリートを敷き詰めて隣接する道路にアスファルトを強いて商業化したのだとすれば不思議でもないことなのかもしれないが少し感じるところがあった。
建物が消えた側からの視点、もともとは農地だったものがあらわになった側面を見る視点などいろいろな角度から眺めることができそうではあるが、諸行無常と言うよりは一皮むいた後にたくましさ・強さが残っているような感じを受けた。
昨日のブログタイトルにもした『夜と霧』を読了した。
作者は心理学を専門とする医者であり、ユダヤ教徒だが、極限的な状況下で宗教的な思念を入れることなく極めて淡々となかばユーモラスに強制収容所での日々を描く。
多くの囚人が自死を選ばずに懸命に行きようとするのはぼんやりと考えるゆとりもなく突然に極限下に放り込まれたからなのか宗教的なものなのか?
レベルは天と地ほども違うが柔道部の練習がつらくてどうしようもなかったときに思考停止して乗り越えてきた延長線上にある世界なのか?
しばらくは夢に見て、そしてまた見返す本になるのだろう。