帰省前の忙しさとささやかな幸福感

昨日は前述のように予想通りの忙しさだった。

一日の仕事を終えて家に帰ると家族が鹿児島へ行く準備を進めている。

今日からお盆をずらして3~4日間、里帰りするのだ。

短い期間を有効に活用するために朝早い便を予約しているため、5時には家を出てフェリー乗り場にむかう。

車で送るために私も4時前に起き出して現在コーヒーを飲んでいる。

週末には私も遅れて鹿児島行きだ。

コロナが問題になってから初めて、数年ぶりに義理の父母と顔を合わせる。

懐かしい。

私も予定通りに行くために、コロナ禍直撃中の今を乗り切るべく今日もせっせと仕事を頑張ろう。

忙しい毎日の中にもちょっとした気晴らしになる出来事がある。

中島らもが『今日の天使』と読んでいる奴である。

私にとっての『今日の天使』はアポロチョコのラッキースターだ。

普通のアポロチョコは、ヒダのある山型で上がイチゴチョコ、下がミルクチョコの二段になっているがラッキースターは星形をしている。

コアラのマーチなど、よくある当たり感・幸福感を授けるちょっとした仕掛けだが実際に遭遇するとやはり嬉しい。

よい企画なんだろうなと思う。

Z世代の先の娘たち

深酒した翌日は睡眠の質が今一つよくないので二日かけて完全復活する感じである。

一日目は梅シロップから梅を取り出してジャムにしたりして過ごした。

爽やかな甘みと酸味でおいしくできた。

写真にするとあまりおいしそうに写すことができなかったので梅を取り出した後のやや色づき始めた梅シロップと赤く染まりつつある梅干しをアップロードする。

二日目の夜は本を読んだり、ゆったりと風呂に入ってのんびりと過ごす。

長女の高校は二学期制で今日までが中間テストだった。

次女は明日から期末テストに入る。

二人とも自分の頃より頑張っているように思う。

偉いなぁと思いながら心から応援していきたい。

団塊世代から始まる戦争を知らない世代のうち、バブル世代と呼ばれて脳天気に暮らしてきた私たちである。

失われた30年などとしょぼくれた話も多くはなったがギリギリ逃げ切る最後の世代かもしれない。

子供たちはそうもいかないだろう。

まだ塊としての世代としての呼び名のないZ世代の先の子供たちである。

世界にはばたくなどのいろんな選択肢を持ったまま、一生懸命生きて幸福の形を探してくれると良いと思う。

黄金色の麦畑

通勤途中の麦畑で冬小麦の収穫が近づいている。

金色にきらきらと光り始めていてとてもきれいである。

金の麦は幸福の象徴としていろいろな絵画や映画や小説、漫画などで描かれてきた。

ゴッホの油絵にも有名なものがあったと記憶している。

風の谷のナウシカで、「そのもの青き衣をまとい金色の野におりたつべし」という古き言い伝えの再現としてナウシカがオームの触角の上を歩いている有名な場面があった。

あの場面も麦畑をイメージして描かれているのだと思う。

樹なつみという好きな漫画家がいるのだが彼女の作品で「OZ」という核戦争後の未来を描いた漫画でも憧れの風景として麦畑が描かれている。

日本人の場合、米が主食であり、私も子供の頃から麦畑を見るよりは水田で稲穂を見ることが多かったように記憶している。

麦畑を見慣れている訳でもない筈なのに心がほっとする。

遺伝子に組み込まれた幸福の風景なのかもしれない。

金が金属の中で特別な地位を占めているのも希少性だけでなく人が美しいと感じる色をしていることが大きいのだろうが、美意識のおおもとは収穫期の麦色から来ているような気がする。

朝からいい気持ちになれた。

眼福である。

戦争は嫌い(みんなで幸せになりたい)

昨年から道を歩いていて見知らぬ植物を見かけると名前を調べるようになって生活にメリハリがついた話を以前に書いた。

目の前の風景が意味を持つだけで色々と思考が巡る。

なかなか良いと思って、本や食べ物などでも新しい体験をしようと取り組んでいる。

今回は【(芋焼酎)わが人生に一遍の悔いなし】、【アサヒマルエフ生ビール】、【クレイジーソルトバタピー】を購入してきた。

焼酎もビールも口当たりが丸くて悪くなかった。

焼酎は名前が良いし、ビールのロゴは不死鳥である。

縁起のいいお酒でよかった。

バタピーもややハーブ感が弱いものの悪くない。

これからも試せるだけのことをいろいろと試してみよう。

そんなことを考えながら新聞を読んでいると、ロシアがウクライナに侵攻したニュースで紙面がいっぱいだった。

中国もあちらこちらできな臭い感じになっている。

私の母は昭和一桁で空爆を背に避難した経験もあるが、私は身近な戦争を感じることなく一生を終わるのだと思っていた。

少し危なくなってきた。

たかだか100年の平和を続けることが出来ないとは。

みんなで幸せになろうよ。

自分に何が出来るのか?

【生きがい(IKIGAI)】が日本独自の概念とは!

【生きがい(IKIGAI)】が日本独自の概念とは知らなかった。

毎日のブログを書く際に、キーワードと言える単語はとりあえずグーグルに放り込んで言葉の定義などを確かめてから書くようにしている。

今日のテーマは生きがいに定めたので、早速グーグルで検索すると生きがいとは日本独自の概念であるという説明が目に飛び込んできた。

全く知らなかったことであり考えたこともなかったのでとてもびっくりした。

大昔から西洋哲学でも幸福論は大きなテーマになっているし人種や文化関係なく所有する感情と信じていた。

そういえば西洋の幸福論は、幸福とは休日の朝布団にくるまって二度寝している心持ちだとか、幸福になるためにはつらい時に無理にでも笑うとか、幸福な状態を定義した上で精神・身体を幸福な状態に持っていくためのテクニックを説いていることが多いように思う。

現在に着目し、将来のことは不安をもたずに備えるくらいの扱いになっているような気もする。

生きがいとは幸福な未来との関連を保ちながら現在を生きるという、幸福感以上に時間の流れに寄り添った感情なのかもしれない。

これは最後の審判で復活するときに、若いころの肉体と年配の分別を持った理想像としての自分が出てくる宗教とそうでない宗教の違いなどの影響もあるのだろうか?

今日は死ぬまでにやりたいことをもう一度整理しようと思って自分の生きがいは何か考えようとしたら、言葉の定義のところで引っかかってしまった。

それもまたよし。

(閑話休題)

今日の写真は会社の窓から見える杉山である。

本社とはいえ三重の田舎にあるので、会社から山までの距離は200mもない。

会社と山の間いは、山と平行に走る片道1車線の基幹道路と多少の住居と田畑がある。

写真からもわかるように針広混交林でない杉山なので秋の紅葉はない。

春に花粉で黄色く染まるくらいで通常は常緑の山である。

やっぱり山を散策していても遠くから眺めても針広混交林の方が癒される。

私にとっては、心の癒しという意味でも生物多様性は重要であると思う。