幼年期の終わりを読了した

最近、あれこれと忙しく過ごしているせいか、ときどきもったいない時間の使い方をしたと思う場面がある。

脳トレといえないこともないのだが、ちょっとした隙間時間を対戦型の囲碁ゲームなどに使ったときなどにつくづくと思う。

囲碁を始めた頃は、老後の趣味にちょうどよいなどと思っていたが、今は暇をつぶすほども時間に余裕がないことに目覚めてしまった。

一方で、より優先順位のたかいことがあるはずだと思いながらブログを書いている時間などはそうでもない。

受動的なことはもったいなく感じて能動的なことはそうでもないのかもしれない。

読書はきちんと読めば経験と同じというけれども比較的能動的な行為なのかもしれない。

あまり時間を無駄にした感がない。

良い本にあたるたびに読む前とは多少違う自分になっているような感じがするからかもしれない。

今回はアーサー・C/クラークの『幼年期の終わり』を読了した。

ある日、地球の大都市の頭上に現れた巨大な飛行物体にのって、オーバーロードなる支配者が現れるところから物語が始まるのだが、最終的には人類がもう一つ上の精神的な存在になり宇宙意識と合体していくような話だ。

よくぞこんなにもスケールの大きな話を書くものだ。

50を過ぎてなおお釈迦様も人、俺も人、彼我の違いや如何に?などと考えたり、そんなすごい人と比較をせずに自分を見つめろと言い聞かせたりしながら暮らしている自分にはちょうどよい話だった。