三重の車窓から

三重はまだ梅雨入りを待っているところだ。

朝は少し愚図ついた天気だったが帰りはすっかり晴れ上がっていて、18時過ぎの車窓から見える風景ものどかで気持ちよい。

車両も貸し切りで私一人だった。

行きの通勤は高校生などもいて多少は混んでいるのだが(とはいっても乗車率100%以下)、帰りは彼らとも時間が合わずに車両一つが貸し切りかせいぜい2,3人くらいで急行停車駅まで移動している。

高校を卒業したての浪人生の頃は東横線から渋谷乗り換えで井の頭線に乗って予備校に通っていた。

乗車率にして300%を超えていたと思う。

本当に手を離しても鞄が宙に浮いていた。

いろんな都市に住んだし、いろんな家に住んだ。

学生時代の四畳半に共同便所でお風呂は銭湯といったところから駐在員専用のコンドミニアムなどにも住んだ。

静かなこと、借景で良いので緑が見えること、日当たりの良いこと、図書館が近いこと、都会へのアクセスが悪くないことなど老後に過ごしたい街、家のイメージが少しずつ固まってきた。

懐具合を見極めながら、さらに絞り込んでいこうと思う。

あと2年くらいまでの間になんとか形にしたいと思う。

世間と自然への関わり(当事者と観察者)

11月20日、スポーツジムで筋トレしながら、自分の時間を脳(都市)と身体(自然)に半々ずつに配分してようと考えた。

脳(都市)は世間と言い換えても良い。

養老先生が、元いじめられっ子が書いた本を読むと人間関係のことばかりで花鳥風月の話が全く出てこない。

これでは疲れるので自然に還れとよくお話しをされている。

また配分された時間の使い道についても当事者や観察者としてのバランスもちょうどよくとればいいと思った。

当事者というのは、対象に働きかけを行い対象物に形質の変化をもたらすものと定義する。

言い換えると当事者はアウトプットであり、観察者とは次のアウトプットにつなげるためのインプットになる。

家族も含めた世間に使う時間と身体も含めた自然に使う時間を一対一にして、世間に使う時間はアウトプットを7でインプットを3、自然に使う時間はインプットを7でアウトプットを3にするくらいでちょうど良いと考えた。

新聞や書籍などに使う時間は【世間×インプット】に勘定しよう。

自然における観察者は日向ぼっこしたり海を眺めたりしている時間で、当事者は家庭菜園をしたり台風に備えたりしている時間となる。

・・・昨日は多少飲みすぎてここまで書いて寝落ちした。

毎日投稿する習慣がいったん途絶えて悔しかったが、今日から再開して頑張ろう。

今後は当事者として観察者として何をするか、何をしたいかを深く考えていきたい。

今日の写真は屋内の観葉植物の合歓木(ネムノキ)。

花がさいた。

地味でも嬉しい。

ブログはじめました!

ゴールデンウィークの最中に、大学時代からの友人死去の知らせを受けた。

享年55歳。

コンビニエンスストアのイートインコーナーで突然倒れ、そのまま帰らぬ人になったそうだ。

大学入学直後に知り合って以来、35年を超える長い付き合いだった。

一升酒が入会資格の豪飲会なるものを共に立ち上げた。

豪飲会の他のメンバーは、酒は強いがメリハリがきいており、禁断症状を呈しアルコールの海で泳ぎ続けたのは
彼と私くらいだった。

私が歩いてきたアルコールの海は死屍累々たる有様で、私のアルコール依存症の仲間たちの中で、世間で、
人並の社会性を維持し普通に勤め人としてやれているのは彼と私くらいだったように思う。

彼を横目でみながら、アル中の身体に鞭打ちながら、まだ飲めると飲酒していた。

突然、伴走者を失い、途方にくれた私は禁酒を企てた。

子供は、まだ中学生と小学生で親の務めを果たすためには、あと10年は元気で働かなければとの思いがあった。

死去の報を受けてから、ベンゾジアゼピン系の抗不安剤とアルコールを飲むのをやめてみた。

二日目から、譫妄、振戦、不眠、悪寒、沢山の寝汗といった禁断症状に悩まされた。

幻覚は見なかった。

夢はたくさん見たが禁酒との関係はわからない。

睡眠の質も悪く、寝起きには眼の奥がずきんと痛んだ。

全身はこわばっていた。

六日目を過ぎた朝、やや爽快な目覚めを感じた。このまま少し続けてみよう。

長い夜の間を持たせるために、ブログを始めてみることにした。

5月12日ブログデビューした。

お題は、田舎暮らし、自然、書評 などになるだろう。

時折り、友人の思い出にもふれるだろう。