
「『子供のころ、自分は何が好きだったろうか』
―自然との触れ合いについて、書き連ねてきたが、家族(飼い犬、飼い猫を含む)との思い出も大切な宝物として胸に残る。
私は、父方の祖父母と同居していた。家族構成は、祖父母、父、母、姉、妹、そして私を加えた賑やかな7人家族である。
祖父は鹿児島出身、祖母は秋田出身で、明治生まれの二人は台湾で出会い、結婚した。
祖父は、台湾女学校の校長、祖母も台湾女学校に音楽教師として勤めており、知り合ったそうだ。女学生たちからは慕われていたらしく、終戦後日本に戻ってからも、たびたび祖父を囲む催しや蜂蜜など季節のものが良く贈られてきていた。
家のお墓にも彼女たちによって寄贈された【懐徳之碑】が建てられていた。当時の使用人からも慕われていたようで、【林正徳さん】という人から色々と贈り物をいただいたり、遊びに来てくれたこともあった。
祖父も台湾当時を懐かしんでいたので、母は、横浜中華街で赤く焼いた鳥を買ってきたり、ビーフンを作ったりして、祖父を喜ばせていた。
伯父や父が子どもの頃には厳しかったようだが、孫にはとてもやさしい祖父だった。
私は、祖父とお風呂に入ることが多く、道を歩いていたら馬糞を踏んじゃった的なコミカルな歌を一緒になって唄った記憶がある。
当時の大曽根から大倉山にかけては、田園風景が広がっていて、今では想像もつかないが茅葺き屋根の農家が馬を飼っていた。道に馬糞が落ちていて、うっかり馬糞を踏むというのは、現実味にあふれた光景だったのだ。
私は高度成長期の生まれで、身近な風景がどんどん様変わりしていったのを覚えている。
家の近所もどんどん住宅が建っていった。ある日、保健所の人が家にやってきて、ニワトリの鳴き声がうるさいとクレームが出ていると言われて、祖父が泣く泣く絞めていたのを覚えている。
祖父の思い出は沢山あるが、良い思い出ばかりである(家族の話を続ける)。
