苔のある暮らし

新型コロナウイルス下で、自宅で内省的な時間を多くとり、思考を重ねる内に、身近に自然を置くことが、自分の幸福にとって必須であると考えた。

「身近な(部屋に置ける)自然とは何か?」と自問した結果、森を屋内に再現したいのだと気づいた。

【犬】や【猫】などは、借家暮らしの身には高望みだったし、何より、自然の暮らしと都市の暮らしの境界線の内側(都市側)に属している感じがした。

私が求めているのは、自然と都市の境界線から、自然の側にある風景なのだと思い至った。

昔、やっていたアクアリウム(水草水槽)を再開することも考えた。

水が循環する音を聞きながら、光を浴びた水草がさかんに光合成で酸素の気泡を出している姿はとても美しいし、水草から水草を渡ろうとしている、抱卵したミナミヌマエビを、葉陰から出てきたトランスルーセントグラスキャットが丸のみする【野生の王国】さながらの風景など生命の躍動感に溢れていた。

それでもよかったのだが、もう少し奥行のある、荘厳な深い森や渓谷を切り取った感じが欲しかった。

そんなコンセプトを探して、ググっている内に、苔テラリウムにたどり着いた。

私の感じている苔テラリウムの魅力を書いていく。

・「森と苔の形状の類似性」
 自然界には、フラクタル構造(拡大しても縮小しても、同じパターンが繰り返される性質)   が多く存在している。
 例えば、ブロッコリーでは、つぼみが集まって、1房(ふさ)になり、1房が集まって、つぼみと似た形の1株になる。
 苔のモコモコしたクッション形状がみせる自然界特有の複雑な凹凸(造形美)は、山の樹冠が連なって出来る林冠の質感ととても良く似ている。

・「豊かな自然の演出」
 種類の異なる植物が調和して共生する姿を重ねていくと、人は生物多様性=豊かな自然を感じることができる。
 苔は一つ一つが小さくて、小さなガラス容器の中に、3つ4つと種類を重ねて、その共生関係を表現することが容易である。

・「境界線(ガラス)」が生み出す異世界感
 ガラスによって現実世界と完全に遮断されることで、「森」として完結した世界への没入感を高める。

・「密閉型ガラス」が生み出す森の匂い
 完全密閉型の苔テラリウムは、内部が飽和湿度に近い為、蓋をあけた時に、雨が降った直後の森の匂いがする。嗅覚にも訴えかける自然のインテリアなのだ。
*森の匂い:苔が放つ青葉アルコールや微量のフィトンチッド、そして微生物が作り出すジオスミン(土の匂い成分)が混ざり合った、落ち着く匂いである。

他にも、手軽で省スペース、低コストなどの魅力も兼ね備えている。
都市に住む人たちに、部屋で自然(森)を感じるインテリアとして、勧めていきたい。

これも、5年後の福岡移住を見据えた活動の大きな柱である。
#苔テラリウム#セカンドキャリア#定年後の過ごし方  #苔 #福岡移住 #土と緑の暮らし

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【はじまりはコロナ~その2~】

コロナで家に閉じこもって自問自答を重ねている時、最大の関心事は、いかにすれば幸福に生きることができるか?であった。アラン、ラッセルなどの幸福論や東洋的な幸福感、最新の研究などを参考にしながら、まずは自分にとっての好きを思い出して再開すること、嫌いなことが何か考えて、取り除くことから始めた。

「『子供のころ、自分は何が好きだったろうか』―そう自問した時、真っ先に思い浮かぶのは自然、生き物とのふれあいだった。」

終戦後、台湾から引き揚げてきた祖父は、横浜に居を構えた。当時は、東急東横線沿線の分譲住宅でも100坪を超えていて、終戦後の一時期、食べ物にありつくことにもことかいた祖父は、リスク管理の視点から、食用目的も含めていろんなものを飼ったり植えたりしていた。食用以外も含めて、当時の庭・屋内は、小さな動植物園のようだった。ニワトリ、犬、猫、ハト、メジロ、亀、ヘビ、メダカ、カブトムシ、クワガタムシなど、植物では、柿、ビワ、イチジクといった果樹に加えて、ナス、トマト、ふき、むかご、ミョウガ、ひょうたん、盆栽などがあった。夏には、麦茶の代わりに庭に自生していた、少し薬臭いドクダミ茶を飲み、ヨモギを草餅にして食べるのも毎年のことであった。産み立てで、まだ温かいニワトリの卵を取りに行くのは私の仕事で、祖父と一緒に庭いじりをやったものだ。子供のころの記憶で映像として脳裏に浮かぶのは生き物であることがほとんどだ。この原体験こそが、私の幸福にかかせないものであることに気づき、再び取り戻す為の行動が始まる(次に続く)

三重の車窓から

三重はまだ梅雨入りを待っているところだ。

朝は少し愚図ついた天気だったが帰りはすっかり晴れ上がっていて、18時過ぎの車窓から見える風景ものどかで気持ちよい。

車両も貸し切りで私一人だった。

行きの通勤は高校生などもいて多少は混んでいるのだが(とはいっても乗車率100%以下)、帰りは彼らとも時間が合わずに車両一つが貸し切りかせいぜい2,3人くらいで急行停車駅まで移動している。

高校を卒業したての浪人生の頃は東横線から渋谷乗り換えで井の頭線に乗って予備校に通っていた。

乗車率にして300%を超えていたと思う。

本当に手を離しても鞄が宙に浮いていた。

いろんな都市に住んだし、いろんな家に住んだ。

学生時代の四畳半に共同便所でお風呂は銭湯といったところから駐在員専用のコンドミニアムなどにも住んだ。

静かなこと、借景で良いので緑が見えること、日当たりの良いこと、図書館が近いこと、都会へのアクセスが悪くないことなど老後に過ごしたい街、家のイメージが少しずつ固まってきた。

懐具合を見極めながら、さらに絞り込んでいこうと思う。

あと2年くらいまでの間になんとか形にしたいと思う。

世間と自然への関わり(当事者と観察者)

11月20日、スポーツジムで筋トレしながら、自分の時間を脳(都市)と身体(自然)に半々ずつに配分してようと考えた。

脳(都市)は世間と言い換えても良い。

養老先生が、元いじめられっ子が書いた本を読むと人間関係のことばかりで花鳥風月の話が全く出てこない。

これでは疲れるので自然に還れとよくお話しをされている。

また配分された時間の使い道についても当事者や観察者としてのバランスもちょうどよくとればいいと思った。

当事者というのは、対象に働きかけを行い対象物に形質の変化をもたらすものと定義する。

言い換えると当事者はアウトプットであり、観察者とは次のアウトプットにつなげるためのインプットになる。

家族も含めた世間に使う時間と身体も含めた自然に使う時間を一対一にして、世間に使う時間はアウトプットを7でインプットを3、自然に使う時間はインプットを7でアウトプットを3にするくらいでちょうど良いと考えた。

新聞や書籍などに使う時間は【世間×インプット】に勘定しよう。

自然における観察者は日向ぼっこしたり海を眺めたりしている時間で、当事者は家庭菜園をしたり台風に備えたりしている時間となる。

・・・昨日は多少飲みすぎてここまで書いて寝落ちした。

毎日投稿する習慣がいったん途絶えて悔しかったが、今日から再開して頑張ろう。

今後は当事者として観察者として何をするか、何をしたいかを深く考えていきたい。

今日の写真は屋内の観葉植物の合歓木(ネムノキ)。

花がさいた。

地味でも嬉しい。

ブログはじめました!

ゴールデンウィークの最中に、大学時代からの友人死去の知らせを受けた。

享年55歳。

コンビニエンスストアのイートインコーナーで突然倒れ、そのまま帰らぬ人になったそうだ。

大学入学直後に知り合って以来、35年を超える長い付き合いだった。

一升酒が入会資格の豪飲会なるものを共に立ち上げた。

豪飲会の他のメンバーは、酒は強いがメリハリがきいており、禁断症状を呈しアルコールの海で泳ぎ続けたのは
彼と私くらいだった。

私が歩いてきたアルコールの海は死屍累々たる有様で、私のアルコール依存症の仲間たちの中で、世間で、
人並の社会性を維持し普通に勤め人としてやれているのは彼と私くらいだったように思う。

彼を横目でみながら、アル中の身体に鞭打ちながら、まだ飲めると飲酒していた。

突然、伴走者を失い、途方にくれた私は禁酒を企てた。

子供は、まだ中学生と小学生で親の務めを果たすためには、あと10年は元気で働かなければとの思いがあった。

死去の報を受けてから、ベンゾジアゼピン系の抗不安剤とアルコールを飲むのをやめてみた。

二日目から、譫妄、振戦、不眠、悪寒、沢山の寝汗といった禁断症状に悩まされた。

幻覚は見なかった。

夢はたくさん見たが禁酒との関係はわからない。

睡眠の質も悪く、寝起きには眼の奥がずきんと痛んだ。

全身はこわばっていた。

六日目を過ぎた朝、やや爽快な目覚めを感じた。このまま少し続けてみよう。

長い夜の間を持たせるために、ブログを始めてみることにした。

5月12日ブログデビューした。

お題は、田舎暮らし、自然、書評 などになるだろう。

時折り、友人の思い出にもふれるだろう。