「受け入れる」と「甘やかす」

「受け入れる」と「甘やかす」

家内がエステサロンでパートを始めた。

娘のチアダンス仲間の母親がエステサロンを経営していて誘われたそうだ。

私の周りには公務員やサラリーマンが多く個人事業主というのはよく知らなかったのだが独自のコミュニティがあるようだ。

仲間内で経済を回し合う感じで、知り合いの食堂や美容院などをお試しして気に入れば常連になる感じだ。

開店○周年などの店のイベントでは採算度外視?でキッチンカーが来たりして盛り上げている。

家内が務めている店でもイベントがあったので顔を出した。

ロコモコ丼を昼食にして、安く売っている小物を見ていると、よく当たると評判らしい占い師さんがいたので見てもらった。

四柱推命と姓名判断を合わせた感じで名前と生年月日を書いて占ってもらった。

ここから数年は良い運気とのことでよかった。

より一層、飛躍するためには対人関係にあたって「型にはめず」に「受け入れる」ように言われた。

言われた通りに素直に受け入れるつもりだが、何でも「受け入れ」てしまうと、「甘やかす」になってしまいはしないかと考えてしまう。

カウンセリングでもコーチングでもまずは傾聴して受け入れてから始まる。

コーチングを受けようという人は、自分を磨きたい人がは多く自分に厳しめなことが多いがそうでない人もいる。

結論のでないまま今日は投げ出してしまうが、「何でも受け入れ」と「甘やかし」の違いを整理する必要を感じた。

しばらく考えてみる。

生活の波(バイオリズムや星占い)

昨日は何度か目が覚めて今朝の目覚めは今一つだった。

原因の特定出来ない睡眠の良い日、悪い日がある。

身体・知性・感情の3つの波から好不調を見るバイオリズムは疑似科学とは言われるがやはり何かそういったことが影響を与えていそうな感じはする。

四柱推命や星座などの占いだったり、『禍福はあざなえる縄のごとし』といった感じで、いろんなことが波状によくなったり悪くなったり繰り返すことが多い。

光は粒子でもあれば波でもあるし、季節も朝昼晩を繰り返しながらすこしずつ動いていく。

自然現象の中で生物として生きる以上は当然なのかもしれない。

元気な時には張り切りすぎて疲れることが多いし、おなかが減りすぎると食べ過ぎて胃がもたれるし、良くも悪くも振れて当然なのかもしれない。

腹八分とか中庸とかは、そこいらのことも戒めているのかもしれない。

よく生きようと思ったら、積極的に新しい体験をしたり、やりたいことをやっていくのが好ましい。

限界を超えないぎりぎりのところでリズムを整えながら日々過ごしていこう。

写真はアオスジアゲハ。

見つめていると飛び立った。

野生の生物は視界に入っていても動かないのに意識を向けると逃げることがよくある。

視線も何かを出しているなどと思っている内に波のことを考えていた。