【はじまりはコロナ~その2~】

コロナで家に閉じこもって自問自答を重ねている時、最大の関心事は、いかにすれば幸福に生きることができるか?であった。アラン、ラッセルなどの幸福論や東洋的な幸福感、最新の研究などを参考にしながら、まずは自分にとっての好きを思い出して再開すること、嫌いなことが何か考えて、取り除くことから始めた。

「『子供のころ、自分は何が好きだったろうか』―そう自問した時、真っ先に思い浮かぶのは自然、生き物とのふれあいだった。」

終戦後、台湾から引き揚げてきた祖父は、横浜に居を構えた。当時は、東急東横線沿線の分譲住宅でも100坪を超えていて、終戦後の一時期、食べ物にありつくことにもことかいた祖父は、リスク管理の視点から、食用目的も含めていろんなものを飼ったり植えたりしていた。食用以外も含めて、当時の庭・屋内は、小さな動植物園のようだった。ニワトリ、犬、猫、ハト、メジロ、亀、ヘビ、メダカ、カブトムシ、クワガタムシなど、植物では、柿、ビワ、イチジクといった果樹に加えて、ナス、トマト、ふき、むかご、ミョウガ、ひょうたん、盆栽などがあった。夏には、麦茶の代わりに庭に自生していた、少し薬臭いドクダミ茶を飲み、ヨモギを草餅にして食べるのも毎年のことであった。産み立てで、まだ温かいニワトリの卵を取りに行くのは私の仕事で、祖父と一緒に庭いじりをやったものだ。子供のころの記憶で映像として脳裏に浮かぶのは生き物であることがほとんどだ。この原体験こそが、私の幸福にかかせないものであることに気づき、再び取り戻す為の行動が始まる(次に続く)

久しぶりのテレワーク

今日は久しぶりのテレワークだった。

毎日処理していかないと少しずつ積み重なっていく仕事なのでGW・盆・正月といった長い休みをあけてしばらくは息をつき間もない忙しさになる。

普段は週に一回テレワークをしているのだが余裕が足りずに会社に出ていた。

なんとか一息ついたところでのテレワークだったので嬉しかった。

在宅での仕事の時は会社では味わえないリラックスした感じで昼休みに庭いじりなどの家事をできるのがいい。

今日は途中日光を浴びたくなったので休み時間に庭で草引きをした。

蛙や実のなり始めたトマトなどを愛でて過ごした。

子供は自然の多いところで育てたいと思っていたが、最近は虫を嫌って人工的な世界に入り込みがちで、親ばかりが自然に親しんでいる感じだ。

それでも子供がもっと小さな頃は里山のイベントに連れて行って川でミズカマキリを捕まえたりしたのだが、そういった思い出がどこかに残っているに違いない。

通学しているだけで森林浴ができる場所で暮らした意味はきっとある。

大きくなった後、都会暮らしや田舎暮らしなどのいろんな選択肢があることを覚えておいてもらえれば良いと思う。

ブログはじめました!

ゴールデンウィークの最中に、大学時代からの友人死去の知らせを受けた。

享年55歳。

コンビニエンスストアのイートインコーナーで突然倒れ、そのまま帰らぬ人になったそうだ。

大学入学直後に知り合って以来、35年を超える長い付き合いだった。

一升酒が入会資格の豪飲会なるものを共に立ち上げた。

豪飲会の他のメンバーは、酒は強いがメリハリがきいており、禁断症状を呈しアルコールの海で泳ぎ続けたのは
彼と私くらいだった。

私が歩いてきたアルコールの海は死屍累々たる有様で、私のアルコール依存症の仲間たちの中で、世間で、
人並の社会性を維持し普通に勤め人としてやれているのは彼と私くらいだったように思う。

彼を横目でみながら、アル中の身体に鞭打ちながら、まだ飲めると飲酒していた。

突然、伴走者を失い、途方にくれた私は禁酒を企てた。

子供は、まだ中学生と小学生で親の務めを果たすためには、あと10年は元気で働かなければとの思いがあった。

死去の報を受けてから、ベンゾジアゼピン系の抗不安剤とアルコールを飲むのをやめてみた。

二日目から、譫妄、振戦、不眠、悪寒、沢山の寝汗といった禁断症状に悩まされた。

幻覚は見なかった。

夢はたくさん見たが禁酒との関係はわからない。

睡眠の質も悪く、寝起きには眼の奥がずきんと痛んだ。

全身はこわばっていた。

六日目を過ぎた朝、やや爽快な目覚めを感じた。このまま少し続けてみよう。

長い夜の間を持たせるために、ブログを始めてみることにした。

5月12日ブログデビューした。

お題は、田舎暮らし、自然、書評 などになるだろう。

時折り、友人の思い出にもふれるだろう。