早起き習慣と一日のタイムマネジメント(定年再雇用後の微調整)

何年もの間、朝は4:30に起床、夜は22:00頃に寝る朝型の暮らしをしている。

定年再雇用になってからも、起床時間と就寝時間は変えていないが、平日の生活パターンを少し変えた。

定年前定年後
4:30起床
新聞、筋トレ、朝食、滑舌トレ 等
起床
ジャーナリング、ブログ、苔、朝食 等
7:00通勤(携帯、読書)通勤(新聞、読書)
8:00仕事筋トレ、ストレッチ
9:00始業始業
12:00昼食・仕事昼食・休息・ブログ等
13:00仕事再開仕事再開
18:00終業終業
19:00帰宅
団らん、夕食、入浴、ストレッチ 等
帰宅
団らん、夕食、入浴、苔、ストレッチ、飲酒 等
22:00就寝就寝

役職についたまま本定年を迎えたので、60歳まではフルスロットルで働いていた。

夕食は家族で取りたかったので、帰宅時間にはこだわっていたものの、始業時間前や昼休みも働いて、何とか定時で退勤していた。どうしても忙しい時は、休日に家で作業した。

生活リズムは変わっていないものの、平日にマルシェ(苔テラリウム)の準備、趣味などの時間を取ることは難しかった。未来への投資といえば、健康の為に、多少の筋トレやストレッチをするのが精一杯だった。

定年後、平日の時間の使い方を少し変えた。

朝起きて、脳が一番働いている時間帯に、ジャーナリング(書く瞑想)を行い、定年とともに再開したブログを書き上げる。

新聞は通勤中に読み、筋トレは、出勤後に回した。

平日は、【無敵の100歳(美木良介):幻冬舎】というロングブレスをベースにした、負荷の低い筋トレをやっていて、会社で十分行える。

(とはいえ初めてロングブレスをやった時は、肺胞がパリパリと開く音がした。)

定年後、マネジメントから解放されて生じた余裕分は、個人の時間に全振りするとともに、平日禁酒・週末飲酒の習慣を入れ替えて、イベントごとが無い限り、週末を休肝日にあてることで、プライベートな時間のQOLを向上させた。

脳が最高のパフォーマンスを発揮する朝の時間を自分のためにつかうことにした結果が、毎日のブログという成果物である。ジャーナリングを行い、ブログを書く、その作業が、セルフコーチングとなり、行動計画が定まる。

5年後の未来に向けたPDCAが回りだしたと感じている。放置したままのサブスクを解約したり、おざなりにしがちなことも含めて、新しい生活習慣を推進力にして行動しよう。

#ライフスタイル#楽しく暮らす#定年後の過ごし方 #苔 #福岡移住 #土と緑の暮らし#心のやすらぎ

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還暦からの学び直し(65歳移住に向けた準備)

定年再雇用期間の終わる65歳(つまり今から5年後)に、福岡への移住を検討している。

移住先で、ゆるやかなコミュニティーに、すんなりと受け入れられるためには、先にギブを提供することが必須だと考えている。

好きなこと(やりたいこと)×得意なこと(できること)を掛け合わせて、どんなギブが提供できるか、どんな活動を構想するか、構想した活動について移住するまでの5年の間にどこまで育て上げておくことができるのかなどを考えてみる。

先日のブログにも書いたが、加工食品メーカー・植物工場の技術部門(開発、製造、品質保証、生産管理、購買、マネジメントシステム、カスタマーサービス)で、40年近く働いてきた。

お世話になった会社の規模も、東証一部上場企業から社員数十人のベンチャー企業、海外の現地法人まで様々である。

ポジションも、右も左もわからない新入社員を皮切りに、中間管理職、海外法人の現地責任者など経験した。

現場にいるのが大好きで、毎日、工場内をうろついていた。

食品関連の資格は、総菜管理士一級、殺菌監理主任技術者を持っている。

食品業界での経験・資格を活かして、移住後にできることがないかと考えた時に、「6次産業化サポートセンター」、「よろず支援拠点」などの活動が思い浮かんだ。

何らかの形で支援チームに関わることができないか、なるべく早く現地とコンタクトを試みて、ご縁をつなぐのと合わせて、食品表示検定やGAP(農業生産工程管理)なども資格化しておけばよいのではと考えた。

改めて学び直してみよう。

5年後の福岡移住に向けて、今できる「学び直し」から一歩ずつ始めていこうと思います。

#定年後の過ごし方 #セカンドキャリア #還暦からの挑戦 #大人の学び直し #福岡移住 #6次産業化 #土と緑の暮らし#定年起業

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5年後の福岡移住に向けて(~晴耕雨読~)

今日から6月である。私の住む三重県では、例年6月6日頃に梅雨に入ることが多い。

定年後の自立した(分業的でない)暮らしを構想する参考として、定年後の暮らしの理想像の一つとして語られることの多い、晴耕雨読について考えてみる。

昨日、一昨日の週末は、晴れ上がった良い天気だった。
その一方で、雨の日の過ごし方に向いた、屋内作業の時間も多く取ることができた。

この土曜日は、朝から床屋に行った。
店長さんが腕も気質も良い方で贔屓にしているのだが、家からは少し離れている。床屋は海に近く、近所に市場がある。

自立した(分業的でない)暮らしの参考になるかもしれないと思って、妻を誘って市場によることにした。
髪を切ってさっぱりした後、近くで時間をつぶしてもらっていた妻と合流して、市場に行った。

真鯖、鰺、真鯛が各1尾に、ムツの幼魚とシロコダイが2尾ずつ入っているトロ箱を1000円で購入した。

釣りを生活の一部に組み込もうとしているので、魚を捌くことになれておく必要を感じての行動である。釣り方より捌き方から入るところが、楽観的かつ食いしん坊の私らしくてよい。小ぶりのシロコダイを除いて、全て3枚におろした。

・サバは、塩焼きとアラをみそ汁に。
・アジとムツはフライに。
・真鯛は、カルパッチョと吸い物に。
・シロコダイはワタを取って、後で煮つけにする予定だ。

二日間の食卓を、魚のメニューで埋め尽くした。

朝昼晩と料理していると一日は早い。
雨の日は、凝った料理を作るのもいいなという思いと合わせて、毎日食事を作ってくれる妻への感謝の気持ちが湧いた。

床屋帰りの市場通いを月1回のイベントにしようと話し合った。

日曜日には、近所で開かれているマルシェに行った。

私も苔テラリウムで出展しようと申し込んだが、抽選に漏れた。

250を超える店舗には、知人も何人か店を出していて、私も次こそという思いを新たにして家に帰ってきた。

マルシェで抱いた思いのままに、苔テラリウムの土台として利用する為の、押出発泡ポリスチレンを加工して過ごした。

「晴れの日に外で刺激を受けて、雨の日に家で熟成・加工する」

5年後に移住を目指す福岡の地でも、そんな風に自然のリズムに寄り添いながら、暮らしを形作っていきたい。そんな未来を思い描いた。
#福岡移住 #福津市 #ライフプラン

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自立した(分業的でない)暮らしの為に!~福岡への道~

先日のブログで、移住先でやりたいことをピックアップした。

その上で、憧れだけで何も知らないまま移住するのではなく、移住した時点で最低限の知識・経験を持っている大切さについて、将棋クラブを例えにして記述した。

移住先で、ゆるやかなコミュニティを発見・所属する上での最低限必要な準備なのだと思う。

やりたいことの中で、最も経験値が少ないのが、釣や猟などの動物的タンパク質の自給自足だ。

過去の動物的タンパク質の自給自足経験は、数えるくらいだ。

友人に誘われて鰺やワカサギを釣りにいったことがある。
鰺は、釣り船を出して、魚群探知機を使ったものだったので、それなりの釣果があった。
鰺以外にも小型の鰹やカワハギも釣れた。戻ってからの友人宅での飲み会は盛り上がった。
当時は、ネットで直ぐ検索できる時代ではなかったので、四苦八苦して三枚に下ろした。

ワカサギの時は、氷に穴をあける道具も持たずに行って、誰かが見切りを付けた穴に糸を垂らしただけだったので、半日粘っても、私は一匹も釣れなかった。
3人で行って、釣果は1尾。
コッフェルに油を入れて、素揚げした小さなワカサギを分け合った。
あれはあれで美味しかった。

大学時代は、北海道にいて2度ほど海に行った。
一回は、石狩浜で、もう一回は厚岸海岸だった。
北海道は夏が短く、学校で水泳の授業が無いためかカナヅチの人が多い。
5mも素潜りをすると、ウニやなまこが取り放題で砂浜で大いにいただいた(当時は、漁業権という言葉もしらず、取って良かったのかわからないが)。

あとは、家で飼っていたニワトリの卵を食べるのと、潮干狩りに何回かいったくらいだ。

いずれも良い思い出だが、若い頃は平日も週末も何かと忙しくしていて、土日の時間を釣りに投入するようにはならなかった。

ジビエは好きで良く食べていたが、狩猟に関しては、完全な素人である。

釣りか狩猟のいずれかは、やりたいと思っている。

先日のブログで、狩猟免許の講習会を申し込んだ事を記載した。
6月に講習会、7月に免許試験があり、私は罠猟で申し込んでいる。

釣りも、近所の釣り屋さんに顔を出して、この5年間で趣味の一つに加えていきたい。

昨日は、海に近い市場に行って、トロ箱1つ1000円で購入した。マサバ、鰺、真鯛が各1尾に、ムツの幼魚とシロコダイが2尾ずつ入っていた。明日は、調理した感想も記していきたい。

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自立した(分業的でない)暮らしの為に!~福岡への道~

老後の移住先として福岡県を第一候補に決めた。

先日のブログで、移住先でゆるやかなコミュニティの一員として認められる為には、ギブから始めることが大切だと考えて、ギブ出来そうな強みをリストアップした。

今日は、やりたいことを整理してみたい。

ギブ出来ること(強み)とやりたいこと(望み)を各々リストアップした上で、(強み)×(望み)が、バランス良く実現出来そうな場所を福岡の中で探していけばよい。

そのためには、既に私の幸福の為に、必要不可欠なものとしてあげた、【自然のある暮らし】、【できる限り、自給自足に近い暮らし】、【大切な家族と共に過ごす日々】という、いささか抽象的な言い方を、直ぐ行動に移せるような具体的な内容(What)に置換していく必要があった。
すると晴耕雨読の生活が浮かび上がるような内容になった。

  1. 日々の散歩コース(徒歩圏)と週1回程度の、ストレスを感じない距離のドライブ(20分程度)によって海と山が堪能できること。徒歩でいく場所、車で行く場所については、いずれが海で、いずれが山でも構わない。
  2. 主食(米、小麦など)を除く、野菜類を家庭菜園で何とか自給したい(お米や不足部分は、野菜や他の貢献で物々交換)。
  3. 釣りや狩猟などで、何かしらの動物性タンパク質を自給していたい。
  4. 井戸か雨水などをうまく活用して、暮らしに必要な水を確保できることに目処が立った状態を作りたい。
  5. 今、三重でやっている、苔テラリウムのマルシェや物販をより一層発展させること、ブログを通じて思いを届けるなど、ゆるやかなコミュニティに属する上で、要になりそうな、情報発信活動を継続していたい。
  6. 毎日、妻と楽しく暮らして、年に1~2回以上は子ども達が帰ってきて、幸福そうな近況を報告してくれることを喜びたい。
  7. 気の置けない友との交流など、1ヶ月に1回は、やや都市の匂いのする場所に身を置いていたい。

・・・・沢山あるが、(望み)に関しては、ギブではなく、テイクがかなり勝ち越している感じだ。

お互い様の関係を存立させる為に、他でギブするにしても、テイク部分について最低限のレベルに達した上で移住したいものだ。

日本中の将棋クラブに、羽生善治が遊びに来たら、クラブをあげて大歓迎だが、ルールも知らない60過ぎの男が、「一からルールを教えてくれ」とやってきても迷惑なだけだろう。

そんな自覚のもとに、移住後の暮らしを想像してはキョロキョロしている。移住後にやろうと思っていることについて、少しでもレベルを上げていきたいと思う。

最終的に、やるかやらぬか本人でもわかっていないが、6月には、狩猟免許の講習会に参加する予定である。

迷走しているなと、我ながら思うが、そんな自分が嫌いでもない。色々と物思い、あがく日々を続けよう!

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自立した(分業的でない)暮らしの為にどこに住むか?福岡にたどり着いた理由

移住先を検討中である。

自立した(分業的でない)暮らしといっても、ロビンソン・クルーソーをやりたいわけでも、出来るわけでもない。自然災害や戦争などで、グローバルネットワークが切断されて、物流が機能しなくなった場合でも生存できる、レジリエンスの強い地域に住んで、その中でコミュニティの一員として認められていることを目指すのがよいと考えている。

また自然が大好きではあっても、実家のある横浜を皮切りに、札幌、東大阪、千葉、上海などと暮らしてきたので、都会の喧騒にも未練がある。

移住先を検討するには、当然、家族の希望も聞かねばならない。妻は8歳年下であり、男女の平均寿命の違いを足し合わせると、私が天寿を全うしたあとに、統計的には15年くらい一人で過ごす時間があるだろう。彼女は、私に付き合って千葉や上海、横浜と居場所を転々として、今は三重に落ち着いているが、もともとは鹿児島の人間である。地縁血縁は九州に多い。

また大学と高校の娘二人が、社会に出て自分の力を試す場所として、東京や大阪、海外を選ぶ可能性は高い。どこで働いていてもアクセスしやすい場所がよい。

自給自足的レジリエンスの強さ×都会の便利さ×妻の縁×帰省のしやすさ=???

家族会議の結果、福岡を軸に探すことになりそうである。

私にとっても、大学時代の柔道の試合や、勤めた会社の工場が福岡にあったりして、なじみのある場所だ。安くて美味しい食べ物も多い。老後が楽しみになってきた。

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ゆるやかなコミュニティに入る為のアクション(ギブから入る)~2~

ゆるやかなコミュニティに入る上で、コミュニティに対して、どんなギブができるのか、大学・社会人生活で培ってきた、私の強みを掘り起こしてみる。

私が目指す、自立した生活とはどのようなものかについて、まだ明確に意識化できていないが、まずは強みをピックアップしておこう。

その後に、私の目指す自立した生活やゆるやかなコミュニティで求められるギブと、私の強みを突き合わせて、必要なものを残していけばよい。

大学では、理学部生物学科植物学を専攻した。

柔道ばかりの不良学生であり、卒論のテーマは、当時はやっていた分子生物学(バイオテクノロジー)に関係するもので、野山で見かける植物の名前などは、まったくもって心もとないが、自然好きを公言して、苔テラリウムを作っていくための箔付けにはなる、植物学士である。

大学を卒業してから60歳までの間に、3つの会社にお世話になってきた。

一社目の加工食品メーカーには、24年間お世話になった。

商品開発を18年間行った後、中国上海の現地法人に、技術部門(製造、開発、設備、品管等)の200人を束ねる現地責任者として出向して、工場の運営やマネジメントを経験した。

日本で加工食品の開発を行う際に、料理の素養が求められた為、会社の指示で料理学校にも通った。

開発する商品の特徴から、香辛料の使い方はわりと得意なのではないかと思う。

現在も、週末の昼食・夕食は、私が担当することが多い。

惣菜管理士1級や殺菌管理主任技術者の資格に、食品の表示なども作った経験があるので、農業の6次産業化などで何か役に立てる事もあるかもしれない。

中国では、現地で別法人を経て、最後は中国ホールディングスの品質保証責任者などを担当した。
6年間の駐在員生活だった。当時は、中国語を話していたが、こちらはすっかりさびついて、ギブできる気がしない。

二社目は、完全人工灯型の植物工場ベンチャーである。

中国に赴任中に、ちょっとしたご縁があって、生産を統括する役割でお世話になった。

採算ベースに乗る前に、資金がショートして会社更生法の適用を受ける形になった。
力が及ばなく、忸怩たる思いが残る。

しかし、植物工場でレタスを栽培している光景の美しさとともに、当時の最先端の農業に挑んだ経験は、一つの強み(ギブできる知見)といえるだろう。

三社目は、三重の菓子メーカーである。

小学生二人を抱えて無職になってしまったので、あわてて職探しをして運良く拾ってもらった。

品質管理室、お客様相談室を管掌して、定年を迎えた。

食品関連の技術的な知見やカスタマーサービスの経験も生かせるに違いない。

こうして振り返ると、私の歩みは『食』と『植物』、そして『組織のマネジメントや品質管理』という軸で一貫していたのかもしれない。

次回は、ここまでの歩みと『これからの自立した暮らし』にどう結びつけていくか、妄想を膨らませていく。

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ゆるやかなコミュニティに入る為のアクション(ギブから入る)~1~

昨日のブログでは、『コミュニティに入る為の最大のコツは、「助けてもらう側(テイカー)」でなく、「少し先に与える側(ギバー)」としてかかわり始めることに違いない』と書いた。

その考えは、養老孟司先生と内田樹先生の対談本で、次のような文章を読んだ際に会得したに違いない。

「赤ちゃんとして生まれて世間に溶け込んでいくというのは、ルールも知らないのに、いきなりサッカー場に放り込まれるようなものである。
ルールも知らないまま、キョロキョロ・ウロチョロしている間に何となく、世間を渡る作法が身についていくものだ。」(うろ覚えかも)

読後、強い共感ともに、次のような感想を抱いた。

勘の鋭い子どもは、ボールを奪い合っている集団が色の違う服を着た二つのチームからなっていることに早く気付いたり、運動神経の良い子どもは、早くボールに触れることができるようになったりするであろう。

ルールを覚えて、プレイできるようになるまでは、いつまでたってもミソッカスなのだ。

世間への適応もきっと同じように、うまい・下手、早い・遅いがあるのだろう。

明るく外交的で、直ぐに人の輪の中心になる子もいれば、集団の中で悪目立ちしないよう、おとなしくしている子もいる。

私は、「集団の中で居場所を見つけた」、「メンバーシップを獲得した」と認識するまでは、とてもおとなしくしているタイプの子供であった。

養老先生と内田先生は、同じ本の中で次のようにも語っていた(うろおぼえかも)。

「昔の家では、最初に所属するコミュニティである家族の中で、家事労働の役に立つことで、メンバーシップを獲得していった」と。

私も家の中で自分の役割を持っていたせいか、新しいコミュニティに属した時は、何等かの役割を果たして(ギブを行うようになって)、初めて共同体の一員になれた気がするものだった。

明日は、「ギバー」としてふるまうことのできる、私の強みを発掘してみよう(続く)。

必要火急への備え~自立への道~

昨日のブログでは、世界の分断、環境破壊などが進む不確実な状況下で、いかにして衣食住を確保して生き抜いていくか、その為には、今までよりも小さなコミュニティの中で、より自立した(分業的でない)生き方を探っていく必要があるに違いないと書いた。

小さなコミュニティの中で、より自立した(分業的でない)生き方というのは、江戸時代のように狭く閉じた循環の中で、可能な限り地産地消を心がけて暮らすことも含むのだと思う。

地産地消という言葉を使いはしたが、ここでいう小さなコミュニティとは、物理的なご近所以外にも、価値観でつながるコミュニティやデジタル・オンラインのコミュニティを含む。

その小さなコミュニティが、ゆるやかに連帯した心穏やかに助け合って暮らせるコミュニティであると良いなと思う。

見返りを期待せず、申し訳なさを感じることのない、「お互い様の精神」でなりたっている緩やかな連帯、各々が得意なことで助け合う、セーフティーネットに似た連帯。

そんなコミュニティに入る為の最大のコツは、「助けてもらう側(テイカー)」でなく、「少し先に与える側(ギバー)」としてかかわり始めることに違いない。

私はギバーとして何を与えることができるのか?今まで積み上げてきた経験を棚卸して、じっくりと考えてみよう。

幸いに、まだ多少の時間はある。60歳を迎えたとはいえ、大学2年生と高校2年生の子供を持つ私は、しばらくの間、再雇用として働く。

強みの棚卸だけではなく、移住に向けた、いろいろな仕込みもできるのである。

【はじまりはコロナ~その2~】

コロナで家に閉じこもって自問自答を重ねている時、最大の関心事は、いかにすれば幸福に生きることができるか?であった。アラン、ラッセルなどの幸福論や東洋的な幸福感、最新の研究などを参考にしながら、まずは自分にとっての好きを思い出して再開すること、嫌いなことが何か考えて、取り除くことから始めた。

「『子供のころ、自分は何が好きだったろうか』―そう自問した時、真っ先に思い浮かぶのは自然、生き物とのふれあいだった。」

終戦後、台湾から引き揚げてきた祖父は、横浜に居を構えた。当時は、東急東横線沿線の分譲住宅でも100坪を超えていて、終戦後の一時期、食べ物にありつくことにもことかいた祖父は、リスク管理の視点から、食用目的も含めていろんなものを飼ったり植えたりしていた。食用以外も含めて、当時の庭・屋内は、小さな動植物園のようだった。ニワトリ、犬、猫、ハト、メジロ、亀、ヘビ、メダカ、カブトムシ、クワガタムシなど、植物では、柿、ビワ、イチジクといった果樹に加えて、ナス、トマト、ふき、むかご、ミョウガ、ひょうたん、盆栽などがあった。夏には、麦茶の代わりに庭に自生していた、少し薬臭いドクダミ茶を飲み、ヨモギを草餅にして食べるのも毎年のことであった。産み立てで、まだ温かいニワトリの卵を取りに行くのは私の仕事で、祖父と一緒に庭いじりをやったものだ。子供のころの記憶で映像として脳裏に浮かぶのは生き物であることがほとんどだ。この原体験こそが、私の幸福にかかせないものであることに気づき、再び取り戻す為の行動が始まる(次に続く)