自立した(分業的でない)暮らしの為に!~福岡への道~

老後の移住先として福岡県を第一候補に決めた。

先日のブログで、移住先でゆるやかなコミュニティの一員として認められる為には、ギブから始めることが大切だと考えて、ギブ出来そうな強みをリストアップした。

今日は、やりたいことを整理してみたい。

ギブ出来ること(強み)とやりたいこと(望み)を各々リストアップした上で、(強み)×(望み)が、バランス良く実現出来そうな場所を福岡の中で探していけばよい。

そのためには、既に私の幸福の為に、必要不可欠なものとしてあげた、【自然のある暮らし】、【できる限り、自給自足に近い暮らし】、【大切な家族と共に過ごす日々】という、いささか抽象的な言い方を、直ぐ行動に移せるような具体的な内容(What)に置換していく必要があった。
すると晴耕雨読の生活が浮かび上がるような内容になった。

  1. 日々の散歩コース(徒歩圏)と週1回程度の、ストレスを感じない距離のドライブ(20分程度)によって海と山が堪能できること。徒歩でいく場所、車で行く場所については、いずれが海で、いずれが山でも構わない。
  2. 主食(米、小麦など)を除く、野菜類を家庭菜園で何とか自給したい(お米や不足部分は、野菜や他の貢献で物々交換)。
  3. 釣りや狩猟などで、何かしらの動物性タンパク質を自給していたい。
  4. 井戸か雨水などをうまく活用して、暮らしに必要な水を確保できることに目処が立った状態を作りたい。
  5. 今、三重でやっている、苔テラリウムのマルシェや物販をより一層発展させること、ブログを通じて思いを届けるなど、ゆるやかなコミュニティに属する上で、要になりそうな、情報発信活動を継続していたい。
  6. 毎日、妻と楽しく暮らして、年に1~2回以上は子ども達が帰ってきて、幸福そうな近況を報告してくれることを喜びたい。
  7. 気の置けない友との交流など、1ヶ月に1回は、やや都市の匂いのする場所に身を置いていたい。

・・・・沢山あるが、(望み)に関しては、ギブではなく、テイクがかなり勝ち越している感じだ。

お互い様の関係を存立させる為に、他でギブするにしても、テイク部分について最低限のレベルに達した上で移住したいものだ。

日本中の将棋クラブに、羽生善治が遊びに来たら、クラブをあげて大歓迎だが、ルールも知らない60過ぎの男が、「一からルールを教えてくれ」とやってきても迷惑なだけだろう。

そんな自覚のもとに、移住後の暮らしを想像してはキョロキョロしている。移住後にやろうと思っていることについて、少しでもレベルを上げていきたいと思う。

最終的に、やるかやらぬか本人でもわかっていないが、6月には、狩猟免許の講習会に参加する予定である。

迷走しているなと、我ながら思うが、そんな自分が嫌いでもない。色々と物思い、あがく日々を続けよう!

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自立した(分業的でない)暮らしの為にどこに住むか?福岡にたどり着いた理由

移住先を検討中である。

自立した(分業的でない)暮らしといっても、ロビンソン・クルーソーをやりたいわけでも、出来るわけでもない。自然災害や戦争などで、グローバルネットワークが切断されて、物流が機能しなくなった場合でも生存できる、レジリエンスの強い地域に住んで、その中でコミュニティの一員として認められていることを目指すのがよいと考えている。

また自然が大好きではあっても、実家のある横浜を皮切りに、札幌、東大阪、千葉、上海などと暮らしてきたので、都会の喧騒にも未練がある。

移住先を検討するには、当然、家族の希望も聞かねばならない。妻は8歳年下であり、男女の平均寿命の違いを足し合わせると、私が天寿を全うしたあとに、統計的には15年くらい一人で過ごす時間があるだろう。彼女は、私に付き合って千葉や上海、横浜と居場所を転々として、今は三重に落ち着いているが、もともとは鹿児島の人間である。地縁血縁は九州に多い。

また大学と高校の娘二人が、社会に出て自分の力を試す場所として、東京や大阪、海外を選ぶ可能性は高い。どこで働いていてもアクセスしやすい場所がよい。

自給自足的レジリエンスの強さ×都会の便利さ×妻の縁×帰省のしやすさ=???

家族会議の結果、福岡を軸に探すことになりそうである。

私にとっても、大学時代の柔道の試合や、勤めた会社の工場が福岡にあったりして、なじみのある場所だ。安くて美味しい食べ物も多い。老後が楽しみになってきた。

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ゆるやかなコミュニティに入る為のアクション(ギブから入る)~2~

ゆるやかなコミュニティに入る上で、コミュニティに対して、どんなギブができるのか、大学・社会人生活で培ってきた、私の強みを掘り起こしてみる。

私が目指す、自立した生活とはどのようなものかについて、まだ明確に意識化できていないが、まずは強みをピックアップしておこう。

その後に、私の目指す自立した生活やゆるやかなコミュニティで求められるギブと、私の強みを突き合わせて、必要なものを残していけばよい。

大学では、理学部生物学科植物学を専攻した。

柔道ばかりの不良学生であり、卒論のテーマは、当時はやっていた分子生物学(バイオテクノロジー)に関係するもので、野山で見かける植物の名前などは、まったくもって心もとないが、自然好きを公言して、苔テラリウムを作っていくための箔付けにはなる、植物学士である。

大学を卒業してから60歳までの間に、3つの会社にお世話になってきた。

一社目の加工食品メーカーには、24年間お世話になった。

商品開発を18年間行った後、中国上海の現地法人に、技術部門(製造、開発、設備、品管等)の200人を束ねる現地責任者として出向して、工場の運営やマネジメントを経験した。

日本で加工食品の開発を行う際に、料理の素養が求められた為、会社の指示で料理学校にも通った。

開発する商品の特徴から、香辛料の使い方はわりと得意なのではないかと思う。

現在も、週末の昼食・夕食は、私が担当することが多い。

惣菜管理士1級や殺菌管理主任技術者の資格に、食品の表示なども作った経験があるので、農業の6次産業化などで何か役に立てる事もあるかもしれない。

中国では、現地で別法人を経て、最後は中国ホールディングスの品質保証責任者などを担当した。
6年間の駐在員生活だった。当時は、中国語を話していたが、こちらはすっかりさびついて、ギブできる気がしない。

二社目は、完全人工灯型の植物工場ベンチャーである。

中国に赴任中に、ちょっとしたご縁があって、生産を統括する役割でお世話になった。

採算ベースに乗る前に、資金がショートして会社更生法の適用を受ける形になった。
力が及ばなく、忸怩たる思いが残る。

しかし、植物工場でレタスを栽培している光景の美しさとともに、当時の最先端の農業に挑んだ経験は、一つの強み(ギブできる知見)といえるだろう。

三社目は、三重の菓子メーカーである。

小学生二人を抱えて無職になってしまったので、あわてて職探しをして運良く拾ってもらった。

品質管理室、お客様相談室を管掌して、定年を迎えた。

食品関連の技術的な知見やカスタマーサービスの経験も生かせるに違いない。

こうして振り返ると、私の歩みは『食』と『植物』、そして『組織のマネジメントや品質管理』という軸で一貫していたのかもしれない。

次回は、ここまでの歩みと『これからの自立した暮らし』にどう結びつけていくか、妄想を膨らませていく。

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ゆるやかなコミュニティに入る為のアクション(ギブから入る)~1~

昨日のブログでは、『コミュニティに入る為の最大のコツは、「助けてもらう側(テイカー)」でなく、「少し先に与える側(ギバー)」としてかかわり始めることに違いない』と書いた。

その考えは、養老孟司先生と内田樹先生の対談本で、次のような文章を読んだ際に会得したに違いない。

「赤ちゃんとして生まれて世間に溶け込んでいくというのは、ルールも知らないのに、いきなりサッカー場に放り込まれるようなものである。
ルールも知らないまま、キョロキョロ・ウロチョロしている間に何となく、世間を渡る作法が身についていくものだ。」(うろ覚えかも)

読後、強い共感ともに、次のような感想を抱いた。

勘の鋭い子どもは、ボールを奪い合っている集団が色の違う服を着た二つのチームからなっていることに早く気付いたり、運動神経の良い子どもは、早くボールに触れることができるようになったりするであろう。

ルールを覚えて、プレイできるようになるまでは、いつまでたってもミソッカスなのだ。

世間への適応もきっと同じように、うまい・下手、早い・遅いがあるのだろう。

明るく外交的で、直ぐに人の輪の中心になる子もいれば、集団の中で悪目立ちしないよう、おとなしくしている子もいる。

私は、「集団の中で居場所を見つけた」、「メンバーシップを獲得した」と認識するまでは、とてもおとなしくしているタイプの子供であった。

養老先生と内田先生は、同じ本の中で次のようにも語っていた(うろおぼえかも)。

「昔の家では、最初に所属するコミュニティである家族の中で、家事労働の役に立つことで、メンバーシップを獲得していった」と。

私も家の中で自分の役割を持っていたせいか、新しいコミュニティに属した時は、何等かの役割を果たして(ギブを行うようになって)、初めて共同体の一員になれた気がするものだった。

明日は、「ギバー」としてふるまうことのできる、私の強みを発掘してみよう(続く)。

必要火急への備え~自立への道~

昨日のブログでは、世界の分断、環境破壊などが進む不確実な状況下で、いかにして衣食住を確保して生き抜いていくか、その為には、今までよりも小さなコミュニティの中で、より自立した(分業的でない)生き方を探っていく必要があるに違いないと書いた。

小さなコミュニティの中で、より自立した(分業的でない)生き方というのは、江戸時代のように狭く閉じた循環の中で、可能な限り地産地消を心がけて暮らすことも含むのだと思う。

地産地消という言葉を使いはしたが、ここでいう小さなコミュニティとは、物理的なご近所以外にも、価値観でつながるコミュニティやデジタル・オンラインのコミュニティを含む。

その小さなコミュニティが、ゆるやかに連帯した心穏やかに助け合って暮らせるコミュニティであると良いなと思う。

見返りを期待せず、申し訳なさを感じることのない、「お互い様の精神」でなりたっている緩やかな連帯、各々が得意なことで助け合う、セーフティーネットに似た連帯。

そんなコミュニティに入る為の最大のコツは、「助けてもらう側(テイカー)」でなく、「少し先に与える側(ギバー)」としてかかわり始めることに違いない。

私はギバーとして何を与えることができるのか?今まで積み上げてきた経験を棚卸して、じっくりと考えてみよう。

幸いに、まだ多少の時間はある。60歳を迎えたとはいえ、大学2年生と高校2年生の子供を持つ私は、しばらくの間、再雇用として働く。

強みの棚卸だけではなく、移住に向けた、いろいろな仕込みもできるのである。

【はじまりはコロナ~その2~】

コロナで家に閉じこもって自問自答を重ねている時、最大の関心事は、いかにすれば幸福に生きることができるか?であった。アラン、ラッセルなどの幸福論や東洋的な幸福感、最新の研究などを参考にしながら、まずは自分にとっての好きを思い出して再開すること、嫌いなことが何か考えて、取り除くことから始めた。

「『子供のころ、自分は何が好きだったろうか』―そう自問した時、真っ先に思い浮かぶのは自然、生き物とのふれあいだった。」

終戦後、台湾から引き揚げてきた祖父は、横浜に居を構えた。当時は、東急東横線沿線の分譲住宅でも100坪を超えていて、終戦後の一時期、食べ物にありつくことにもことかいた祖父は、リスク管理の視点から、食用目的も含めていろんなものを飼ったり植えたりしていた。食用以外も含めて、当時の庭・屋内は、小さな動植物園のようだった。ニワトリ、犬、猫、ハト、メジロ、亀、ヘビ、メダカ、カブトムシ、クワガタムシなど、植物では、柿、ビワ、イチジクといった果樹に加えて、ナス、トマト、ふき、むかご、ミョウガ、ひょうたん、盆栽などがあった。夏には、麦茶の代わりに庭に自生していた、少し薬臭いドクダミ茶を飲み、ヨモギを草餅にして食べるのも毎年のことであった。産み立てで、まだ温かいニワトリの卵を取りに行くのは私の仕事で、祖父と一緒に庭いじりをやったものだ。子供のころの記憶で映像として脳裏に浮かぶのは生き物であることがほとんどだ。この原体験こそが、私の幸福にかかせないものであることに気づき、再び取り戻す為の行動が始まる(次に続く)

【はじまりはコロナ~その1~】

2019年末に新型コロナウイルスが発見されて以降、あれよあれよという間にパンデミックになり、2020年4月には日本でも緊急事態宣言がなされて、県をまたぐ移動が実質、禁止された。2023年5月に新型コロナが5類になるまでは、何等かの形でずっといろんなことを自粛していたと記憶している。新型コロナウイルスの騒動の最中、私は転職して、三重県の会社に勤めていたのだが、もともとは神奈川の人間であり、三重県には地縁も血縁もなかった。幸いにも、2年間の単身赴任生活を終えて、家族を三重に呼び寄せた後のコロナ騒動ではあったが、高齢の母の住む横浜の実家、学生時代や前職の友人たちとの交流など、自分が大切にしてきたことが全て不要不急扱いされてしまった。勤めている会社は、食品製造業で、社会の維持に不可欠な「エッセンシャルワーカー」とされたものの、事務職の私は、テレワークで家に閉じこもることになった。私生活のありとあらゆることが不要不急とされる中、私にとって何が必要火急なのか、いい年齢をして自分探しが始まった。

自分自身に対して問いかけを行い、自分の気持ちに気づく為の技術を欲しいと思って、コーチングスクール(Zoom)を受講して、コーチ資格を取得した。

セルフコーチングやコーチ仲間と相互セッションを行い、図書館では様々な幸福論の書籍を借りてくるなどして、自分の価値観、心情を探っていく旅がはじまった。

定年再雇用後の日々(~移住までの道のり)

2026年02月に60歳になり、定年を迎えた。

再雇用契約を結んだ為、翌日以降も今まで通り出社するとは言え、まあ一区切りである。

会社で花束を貰い、家族と回転すしに行った。賑やかな喧噪の中で、家族と交わした乾杯の味は格別であった。

仕事の内容はあまり変わらないが、情報発信は新しい上司にやってもらうなど裏方にポジションをとるなどして、人生の比重を個人の生活の充実に少しづつ移していこう。

受験生や大学時代に柔道部で主将を務めあげて引退する時などと同じく、自分で自分をほめてあげたい節目が一つ増えた。この年齢まで健康で幸福に勤め上げることが出来て何よりだった。家にいても仕事のことをよく考えていたが、これから勤務時間外は忘れようと決心する。65歳で会社員生活を終えた後の理想的な生活をイメージしながら、自分の幸福を最大化するべく、日々の暮らしを再デザインして、その時に向けて今できる準備を着実にすすめていく。

すみたい場所、やりたいことなど、ブログ記事を書く過程で自問自答しながら、幸福な老後に到達する為の行動を追求していきたい。