お盆休みの過ごし方~楽観したり、落ち込んだり~

4日間のお盆休みが始まった。

一日目は、前日に禁酒をしたせいもあって、4:30に元気満々で目が覚めた。

寝室で妻を起こさぬように気遣いながら、20分ほどかけて布団の中でストレッチをする。

その後、起き出して、中小企業診断士試験の過去問や解答を使いやすい形で保存した。

ずっとやりたかった作業だ。

一区切りついて時計を見ると、既に4時間がたっていた。

合格までの勉強時間が約1000時間とネットに記載されているが、今日の4時間は0.4%を投入したことになる。

効率的に勉強するための環境作りも含めての1000時間であれば、なんとか時間をやりくりして投入できると見積もる。

過去問を眺めていると、今までの経験と紐付けて、エピソード記憶として頭に入ってきそうな科目もあれば、情報システムなど聞いたことのない単語がてんこ盛りの科目もある。

しかし脊髄反射的に拒否感が生ずる科目はなかった。

バンジージャンプよりは、よっぽど楽しみながら学習できる。

ちょっとした楽観をもって、昼には魚市場へ向かう。

メイタガレイ1尾とカゴカキダイ8尾をセットで購入する。

売れ残りで値引き札がついているとはいえ、併せて380円。

驚きの安さだ。

家に戻って、ウロコやワタを取り、塩焼き・唐揚げ・煮付けを作る。

昼から少しお酒を飲みながら料理をする。

この日は、結局10時間以上飲んでしまい、お盆二日目をぐったりとして過ごす。

若い頃と何も変わっていないと落ち込んで過ごす。

三日目の今日は、相互コーチングでセッションをして、合格までの勉強方法をテーマに行動計画に落とし込んだ。

「4時間学習した自分」も「10時間飲んだ自分」も両方とも自分。楽観と悲観が交互に来るお盆休みだが、昨日より今日、今日より明日、少しずつ楽観でいられる日を増やしていこう。

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お盆休みの過ごし方~若い僕には明日があった~

8月13日からお盆休みに入る。

お正月休みやゴールデンウィークと並ぶ大型連休であり、夏休みのない会社員には貴重な休みである。

私自身が定年を迎えて、少し休みが取りやすくなったため、お盆をずらして帰省したばかりである。

いよいよ予定のないお盆休みだ。

今年は暦通りの4連休、あらためてお盆休みの過ごし方を考えてみようと思う。

独身時代の連休は、特別なことをするでもなく、実家に帰って毎日毎晩、お酒を飲んだり、漫画を読んで過ごしていた。

仕事を通じて成長しようという意欲はあったが、大型連休を使って自己啓発をしようなどと考えたりしなかった。

当時の私には、時間を湯水のように無駄使いしても、まったく気にならない「若い僕には明日がある」的な楽観があった。

外食ばかりで、ろくに料理もしない一人暮らしの1LDKは、休みに合わせて、大掃除が必要になるほど汚れもしなかった。

平日の夜や週末半日を使って、洗濯とあわせて余裕で回せる程度の家事だった。

結婚して子どももできると、子どもの行事や家事手伝いなど、週末が一週間の中で一番忙しい日に変わっていったし、お盆や正月も、夫婦お互いの実家に交互に帰ったりで、まあ目まぐるしかった。

上の娘が大学に行くために家を出て、下の娘も高校生になると部活や勉強で忙しく、親と一緒に行動することが少なくなる。

私もやりたいことややるべきことが山積みだ。

中小企業診断士の試験勉強や苔テラリウムの制作販売を前にすすめるだけでは十分ではない。

妻が大掃除の予定をたてて張り切っている。

料理担当も何回か回ってくるはずだ。

夫婦二人で楽しむことにも使いたい。

To doリストがどんどん埋まる。

昔は「明日がある」から時間を使わなかった。

今は「残された時間を大切にしよう」と焦るほどでもない。

4日間でどこまでできるか。

休みまでプロジェクトになってしまったようだ。

今夜はお酒も控えめに、妻との作戦会議に臨もうと思う。

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休日にパソコンを開きたくない理由

今日は、「山の日」にもかかわらず、会社に出勤した。

会社の指定休日に加えて、法定の有給休暇5日を取ることを考えると、ならしてみれば2勤1休くらいのペースになる。

休みの多寡という視点では、ホワイト企業の部類にはいるかもしれない。

皆がバラバラと休むよりは、祝日にまとめて有給を取って欲しいという視点からか、年に5日ほど祝日が出勤日に予定されている。

賢い人間はどこにでもいる。

普段なら、私も祝日に有給を持ってくるのだが、先週木曜日に半休、金曜日に有給を取っており、少し仕事に追われての出勤となった。

出勤してみると、会社の思惑通りに人はすくなく、祝日の出勤が病みつきになりそうなくらい、仕事のはかどる一日となった。

祝日の出勤日には、気分良くパソコンを叩くのだが、私用メールの処理であっても休日に家でパソコンに向かうのは気が乗らない。

コロナの時は、テレワークでも大いに仕事がはかどったので、会社に出勤することだけが、オンとオフを切り変えるスイッチというわけでもなさそうだ。

株式投資などの自分の利益になるかもしれない作業であっても休日にパソコンに向かうのは気が向かない作業になってしまう。

わざわざ頭で考えなくても、今日は休息日と無意識に脳が認識して、スイッチをオフに切り替えているのかもしれない。

そして、オフの日は身体を喜ばせてあげたいという信号が飛んでいるのかなと思う。

休日に自由自在に、やる気スイッチがいれられるようであれば、今ごろトリリンガルくらいにはなっている。

とはいえ、目指すことにした中小企業診断士の次の試験まで、ちょうど1年。学習癖をつけていかなければいけない。

夜は、寝っ転がってYouTubeの聞き流し学習、早朝は少し気力がわいているのでAIと一緒に座学など、ハイテクも駆使してやってみる。

過去の経験では、よく言えば習慣作り、悪く言えば惰性で、いろんなことを乗り越えてきた。

やる気スイッチの押し方を探しながら、ひとつひとつチャレンジを始めてみよう。

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中華料理の思い出

横浜へ帰省したついでに、横浜中華街に寄った。

子どもの頃は、みなとみらいも線もまだなく、赤レンガ倉庫も今のような観光スポットではなかった。

横浜に出る時は中華街を目当てにすることが多かった。

台湾で勤務していた祖父母が懐かしむので、年末には、赤鶏の燻製など中華の食材を購入するために行っていた。

私も中国に駐在していたので、赤と緑と金色のぴかぴかした建物を久しぶりに見て、懐かしく感じた。

中国では、もてなす側のマナーとして、食べきれずに残すくらいの料理を提供する必要があり、もてなされる側もマナーをわきまえた立ち居振る舞いが求められる。

中国が貧しかった当時は、残した食事を従業員の賄いにするということもあったようだ。

駐在当初は、出されたものは残さないのがマナーと思って無理に食べていたが、のちに非常識な振る舞いと知って赤面したものだ。

駐在中の経験では、安くて美味しいものは、駐在経験の長い日本人よりも、やはり現地の人がよく知っていた。

駐在していた当時は、1ドル80円の時代で、上海の最低賃金も月960元(1元13円)で、とにかく物価が安かったものの、干しアワビや干しナマコといった乾貨で、手の出にくい高価な食材もあった。

干しアワビをメインにした料理は手が出なくても、乾貨で出汁を取った湯(スープ)を使った料理を堪能することで、高級食材のお裾分けにあずかることができた。

現地の人は、お得な料理を良く知っていた。

今回の中華街では、東坡肉、北京ダック、海老シューマイなどを含む、四千数百円のコースをいただいた。

当時、中国で食べていた時とは価格帯がだいぶ異なるが、懐かしい思い出をよみがえらせるという意味では高い買い物ではなかった。

60歳を過ぎてくると、思い出消費に財布の紐が緩む。

それも悪くないと思う一日だった。

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12年目のICOCAが教えてくれたこと

ICOCAを定期券として利用している。

期限切れが近づいたので定期券を継続更新した。

会社の規程により、3ヶ月間の通勤定期である。

海外から日本に戻ったタイミングで購入したので、気づけば、カード購入から12年が経っていた。

定期券としても利用するようになって、11年間が過ぎたことになる。

年4回、これまでに44回ほど継続更新したことになる。

表面の印字層が削れたのか、利用区間も有効期間もほとんど読めなくなってしまった。

不便を感じるようになったので、券売所で定期への再印字をお願いしたが、駅で上書き印字してもらっても綺麗に写らなかった。

そこでカード自体を無償交換(障害再発行)してもらうことにした。

再発行したICOCAは、通勤区間も有効期間もくっきりと鮮明に印字されて、いい感じだ。

このまま65歳直前まで、電車通勤を続けるとすると、あと4年間と半年、17回ほど継続更新することになる。

電車通勤を続ける間に、次の上書き印字や障害再発行の機会は来るのだろうか?

ICOCA(ICカード)は、摩耗すれば新品に交換できる。

身体はそうはいかない。

だからこそ、親からもらった身体を、日々手入れしながら、大切に使っていきたい。

ICOCAが再び摩耗する時も、元気に電車に乗り込んで、あちこち飛び回っていたい。

そんな未来を思い描きながら、明日、新しいICOCAを使って会社に向かおうと思う。

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学習脳とブログ脳

最近、中小企業診断士の勉強を始めた。

通勤時や昼休みに問題集を開き、入浴時には、中小企業診断士試験勉強法について語る無料のYouTubeを聞いたりしている。

いくつになっても学ぶことは楽しいのだが、日々のルーティーンに対する、ちょっとした影響を感じている。

ほぼ毎日投稿している、ブログのネタが出にくくなってきたように思うのだ。

学習は、既存の体系(知識・定義・枠組み)をインプットする作業であるのに対して、ブログは、自分の体験や感情、視点を言語化してアウトプットする作業である。

脳みそがインプットに熱心になり、アウトプットを休憩している感じだ。

日常の些細なことへの気付きや感謝への反射神経が少しにぶくなっているのかもしれない。

ぼーっとしていたすきま時間に教科書を開くようになり、ブログネタになるひらめきを得る余白が減っているのかもしれない。

以前、仕事が忙しい時も同じようなことはあった。

団子のように固まってやってくる仕事をひとつずつほぐすように問題を解決していく。

気が付けば峠を越えていて、あとには少し処理能力の上がった自分がいる。

それがいつものパターンだった。

今日の文章のように、試験勉強とブログを連動させて毎日をこなしていくうちに、インプットとアウトプットの切り替えがうまくなったり、試験勉強で得た新しい知識を、今までの体験に紐づけて文章にすることで、血肉化した知識として、ブログに反映されていくのだろう。

学習脳とブログ脳。

その切り替えが自然にできるようになった時、私は今より少し成長しているのだと思う。

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「地震活動期をどう生きるか」~移住検討先の防災マップをみつめながら~

7月28日、熊本県で最大震度七を観測する地震が発生した。

横浜に住んでいた子どもの頃、大震災といえば、関東大震災であり、教科書に載っている存在だった。

せいぜい震度四くらいしか知らない私には、震災は遠い存在だった。

周囲の大人たちも同じで、危機意識も「二度と戦争を起こさない世界にする」に向いていたと思う。

下水道の整備が進んでない当時は、台風による床上浸水のほうが、すぐそこにある天災(危機)であった。

どこか他人事だった大地震を自分ごとに感じ始めたのは、1995年の阪神・淡路大震災くらいからだ。

1994年まで大阪に勤めていて、その後、千葉に転勤になったため、関西の友人・知人も多く、阪神・淡路の影響で、人生が大きく変わった人たちを何人も知っている。

当時、ほとんどの日本人は京阪神で大地震が来るとは思っていなかったと記憶している。

耐震基準の変更など、国の政策も大地震は必ず来ることを前提にして大きく変わっていったような気がする。

実際、日本列島では大地震が相次いでおり、活動が活発な時期に入っているとの見方を示す専門家もいる。

大学を卒業して社会人として働いていると、自分の世界も広くなり、阪神・淡路大震災より後に起こった大きな地震、例えば、新潟県中越地震や東日本大震災、能登半島地震では、いつも安否の気になる人がいた。

東日本大震災や能登半島地震では、被害の大きさに加え、人口減少や高齢化という地域の課題も重なり、集団移転や居住誘導について改めて考えさせられる場面もあった。

海沿いか高台か、居住誘導区域かそれ以外か。中古物件の価格にも、防災への意識が反映される時代になってきている。

防災意識が必須の時代になったのだと思いながら、移住候補先である福津市の防災マップを眺めてみた。海岸線を持つ行政区域であり、やはり津波や洪水に注意の必要なエリアが多い。さらにネットで深堀りすると、観光名所でもある津屋崎千軒は、海から200mくらいの距離にあり、海抜も3~4mであり、大きな地震への備えを考えると、少し心もとない。海岸線から直線距離で2~3km離れると、地震時の避難場所として指定されている高校があり、標高も40mあり、避難場所として一定の安心感がある。土砂災害のハザードなどもあわせて、個々の物件を評価していくことになるのだろう。

60代になって移住先を探すということは、新しい暮らしを探すことだけではない。

大切な人を守れる場所を探すことでもあるのだと改めて感じた。

*今回の大地震で被災された皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。

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60歳からの受験生生活

「資格試験に挑戦しよう」と決めた後、忙しい週末が続いている。

ITコーディネーターとして活躍している先輩起業家から、中小企業診断士を取るといいよとアドバイスを受けたのは7月4日のことだった。

その後の土日祝日が、福岡行きや出勤、故人を偲ぶ「ありがとうの会」だったり、ずっと予定が埋まっていた。

なにも予定のないはずの一日も、妻に誘われて温泉へ。

何かと慌ただしい日々だ。

8月に入っても予定は目白押しで、1日からは大学時代の友人と大阪へ行き、二人で旧友の墓参をする。夜、一緒に飲んだ後、私は娘の下宿に泊めてもらう予定だ。

その後も、実家への帰省などが控えている。

土日は家事も手伝っているので、忙しく走り回っている内に、毎日が終わっていく感覚だ。

お声がかかるのはありがたいことだし、どのイベントもアドバイスを受ける前に決まっていたことなので、今回は、「楽しい時を過ごすことができてよかったな」でいいのだが、本気で資格試験を目指す以上は、これからは少しイベントをセーブする必要があるだろう。

ちょっとした資格のために、1週間ほど集中したことはあるが、1年間がかりの節制が求められるのは、大学入試以来だ。

以前のブログで、定年前と定年再雇用後の毎日の時間の使い方を少し調整すると書いたことがあったが、さらに「受験生要素」も加えて再チューニングする必要がありそうだ。

大学受験の一年間がその後の人生を大きく形作ったように、これからの一年間も、残りの人生を形作る大切な時間になると信じたい。

実はふと、「もうあきらめて、ゆっくりしようよ」という誘惑が頭をよぎることもある。

自分の頭がまだ難関資格の受験に耐えられるか確かめたくて、今日の昼休みに無料のIQテストをやってみた。

同年齢の集団の中では予想以上に良い結果で、「まだ挑戦できる」と背中を押された気がした。

日々の暮らしの中で、飲酒習慣をどのようにご褒美として組み込むか、朝の時間をいかに活用するかなど考えよう。

60歳で受験生に戻るとは思ってもみなかった。

しかし、人生は何歳からでも新しい挑戦ができる。

残りの人生を変える一年になるよう、焦らず、計画的に、そして何より楽しみながら歩んでいこうと思う。

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「ありがとうの会」で考えた感謝される仕事

2024年に津市商工会議所が主催する創業塾に参加して、苔テラリウムの事業化について計画をたてた。

その時にお世話になった先生が、3ヶ月ほど前に若くして病気でお亡くなりになった。

日曜日に、「ありがとうの会」が開かれて参加したところ、学生時代の友人や独立前に会社員をしていた時代の上司、同僚や公的支援の専門家仲間に加えて、創業を支援してもらった人たちも多く来ていて、故人の人柄が偲ばれる賑やかな会になった。

初対面の人が多かったが、「先生とはどんなご縁ですか?」というところから会話が始まり、バイキング形式の立食パーティーだったこともあり、多くの人とお話しすることが出来た。

私が参加した起業塾は、約4ヶ月かけて行うグループワークで、創業を志す人たちが、創業までの計画を立てるといった内容だったが、起業後に経営コンサルタントとして、個別に事業相談にのってもらい経営指南を受けた人も多くいた。

インスタグラムにアップする写真の世界観など、細かなところまで親身になってアドバイスする、伴走型のスタイルだった。

「先生のおかげで人生が変わった」、「きびしいことも言われたが、頑張ってついていくと結果がでた」という話を何人もの方から聞いた。

もちろんどんな仕事にも社会を支える価値がある。

しかし「おかげで人生が変わった」と感謝される仕事ができるというのは幸福なことだと思う。

ぱっと思いつくところでは、経営コンサルタント以外にも医師や教師も感謝される職業の一つなのだろう。

とはいえ、そういった職業についた全員が感謝されるわけではなく、専門家として有能であり、高い倫理観を持つなど、本人の生き方が問われるところだ。

中小企業診断士を目指す私にとって、この日は資格の先にあるものを考える機会になった。

知識や資格ではなく、「ありがとう」と言ってもらえる仕事ができる人になりたい。

先生からいただいた恩を、今度は誰かに恩送りできるように、一歩ずつ歩んでいこうと思う。

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60歳からのロールモデル~その3:無邪気に楽しみながら組織に貢献する生き方~

60歳からの自分が目指す、ロールモデルについて考えてきた。

結論としては、坂本龍馬のような大きな絵を描くカリスマ+人たらしの資質を併せ持つタイプではなく、養老孟司先生のような「自分で考え抜いた言葉で物事の本質を語る知性」、「方丈記的達観」と「昆虫など、自分の好きを大切にする無邪気さ」を参考にすることとした。

具体的な個人を特定してロールモデルとして設定するのではなく、「肩の力の抜けた知性」と「可愛げ」をチャームに、頼りがいのある専門家として、専門性を武器にギバーとして周囲に貢献している人を目指してみようと思う。

人生を通じて、先輩からは可愛がられることの多い後輩キャラクターだった。

また、相手によって態度を変えることはなく人を見る視点も比較的フラットだったと思う。

可愛げ・愛嬌については及第点をつけてもいいかもしれない。

「好きを大切にする無邪気さ」にも自信がある。

一方で、リーダーシップを発揮するのは苦手で、後輩にとって頼りがいのある先輩ではない時も多かったかもしれない。

組織には必ず目的があり、部活動でいえば勝利だったり企業活動であれば利益だったりする。

組織の目的に対して十分な貢献が出来ていると自負している時にだけ、よい先輩としてふるまえたように思う。

そんな時でも叱るのは苦手で、「事前準備と打ち合わせ、細かな業務計画の策定と進捗管理」など、怒らなくても回る仕組みを作るスタイルだった。

こう考えると、60歳を超えて一生幸福でいるためのロールモデルを実現する鍵になる(さらなる頑張りが必要になる)のは、自分でも胸を張って貢献できたと言える専門性を確立して、その専門性を求める組織と接点を持つことだろう。

今までの経験やこれからの学びにより、しっかりとした専門性を確立して、自分で考え抜いた言葉を用いて貢献する。

そのための第一歩として中小企業診断士を取得するというのは悪くない選択だと思う。

ここまで、自分なりの個性で実現可能な目指すべきロールモデルを考えてきた。

中小企業診断士への挑戦も、その理想の自分に近づくための一歩として楽しんでいきたい。

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