はじまりはコロナ~その4~

電車に乗って家族で遠出する際も、あちこちに自然が残っていたように思う。

最寄りの駅に向かう途中、綱島街道沿いにある大綱橋のたもとにある桜の木で、日の光にきらめくヤマトタマムシの色鮮やかさに目を奪われた。

曾祖母と大叔父夫婦が暮らす東京都世田谷区上野毛の家にもよく行った。
あの家は国分寺崖線(ハケ)沿いの高台に位置しており、崖線の斜面を利用した庭があり、
斜面を湧き水が流れて庭の中に小川をなしていた。
最後には多摩川に流れ込むのだが、野生なのか捕まえてきて放したのかわからないが沢蟹が棲みついていた。庭には色あざやかなトカゲ、屋内にはヤモリがいた。

近所には「最後の政商」と呼ばれた、小佐野賢二氏の邸宅があり、大叔父の家から小佐野邸に向かう坂道で、マイマイカブリやミヤマカミキリを見た。
小佐野邸は、コンクリの壁に囲まれており、監視カメラが設置されて、その向こうに覗く手の届かない静謐な場所にそびえたつブナの木にとまったオオミズアオの息をのむような美しさには目を瞠った。

夏休みには、葉山などに海水浴に連れて行ってもらうことがあり、泳ぎもせずにイワガニやスナガニ、ヤドカリを追っかけていた。

当時、父が単身赴任をしていた奈良県にも良く行った。ヘビ神様を祭る三輪神社では、お供え物の卵をシマヘビが丸呑みするシーンも見たことがある。とても興奮する体験だった。

母方の実家は鹿児島県の川辺にあり、夕食時には電灯の光を求めて、カブトムシが飛んでくるような家だった。近所の田んぼの用水路で10cm以上ある大振りのアカハライモリを捕まえたのも良い思い出だ。どの思い出も色鮮やかに映像が思い浮かぶ(次に続く)。

はじまりはコロナ~その3~

生き物の思い出はまだまだある。

 50年前は、東京や横浜にも沢山の自然が残っていた。自宅の庭だけではなく、外遊びも自然の中で多くの時間を費やした。

 大倉山には、沢山の防空壕があり、防空壕を秘密基地として山の中で遊びまわった。当時、大倉山は東急電鉄の所有だったが、自由に遊ぶことが出来て、甘い香りのアケビや甘酸っぱい野イチゴをおやつにクワガタを取ったりしていた。
 普段、野球をしていた近所の空き地には、調整池があり、トノサマガエルやザリガニが沢山いて、悪ガキはトノサマガエルのお尻に爆竹を詰め込んで破裂させたりしていたが、私は可哀そうでやらなかった。当時、ガキ大将を止めなかった自分を思い出すと今でも胸が痛むことがある。空地には、エノコログサやススキ、カゼクサなどが茂り、イナゴやバッタ、カマキリなどを捕まえて過ごした。カマキリの卵を見つけると家に持ち帰り、木組みの箱に網戸を張って作った飼育箱においておくと小さなカマキリがわらわらとわいてきて嬉しかった。
 自転車で三ッ池公園まで遠出すると、クチボソや手長エビが沢山いて、時間のたつのを忘れて釣っていた。

 当時の横浜では、光化学スモッグが問題になっていたが、山や原っぱの虫たちは、まだ豊富だったように記憶している。
環境汚染は水質の悪化のほうがひどくて、近所の鶴見川は一級河川として日本で3番目に汚い川になっていた(現在は行政や市民活動の努力でかなり改善されている)。
 その為、ゲンゴロウやタガメなどの水生昆虫が希少で、野生のミズカマキリは、50歳を過ぎて三重県の雲出川で初めてみることになる(まだ続く)。