水槽と保存と大地(さんだいばなし)

このところ三題噺をアップしている。
脈絡のない単語でも、だらだらと駄文で繋げていく程度の経験値はありそうなことがわかってきた。
ただ、起承転結、物語にする構成力がまるでだめ、まだまだ精進が必要である。
さて水槽、最近は森をキーワードに自然とのふれあいを探っているが、千葉に住んでいた、独身の頃は、
もっぱら60Lの水槽を2本並べて、淡水魚と水草の水槽を作っていた。
ウイローモスやアヌビアスナナなどをメインとした水草に、ブルーテトラやミナミヌマエビを入れて買っていた。
少し大きめの透明キャットフィッシュもいれていたが、卵を抱いたミナミヌマエビが丸のみされるなど、スペクタクルなところもあった。
人間の部屋の中と屋外の大地、人間が恣意的に生態系に関与しているか否かが違いなのだろう。
大地に降り注ぐ日光と水草用のLEDライト、電気代かけて精一杯メンテして、水草をトリミングする水槽と恒常性を有する外の自然。
すこしづつ外に目が向いてくるのが、やはり自然のなりゆきだったのだろう。
自宅の水槽を時が止まったかのような状態で保存するよりも、森林、里山、河川といった外の風景を次世代に残せるように保存活動に勤しむ、やはり結論は、ここにありそうだ!!
夕焼け、返信、冷凍・・・ある愛の歌と香港返還

返信、夕焼け、冷凍 中国共産党創立記念日(1921) (1997)
昔、好きで好きでたまらなかった子に告白をした時の思い出。
明るく元気が売りの女の子だったが、少し困ったような笑顔で、考えさせてくれといった。
三日後に手紙で返事をもらった。
今なら、携帯メールの返信ですませるところだろう。
口答で言いづらい結果であることは容易に予想がついたが、とりあえず笑顔で受け取って別れる。
トイレに駆け込んで、封を切ると、お約束通りの「いいお友達で・・」から始まる文章だった。
がっくりと肩を落として帰る。
西の空を覆う、強烈に真っ赤な夕焼けの中、とぼとぼと歩くうちに、陽が落ちて夕闇へと変わっていった。
その日は、生きたまま冷凍にされる、まぐろの気持ちを想像しながら、自分の気持ちと比較して、むしろまぐろのほうが幸せなのではと想像していたことを思い出す。
もう24年も前のことだ。
今日は香港特別行政府設立記念日。
24年前の今日、英国から中国に香港が返還された。
そんなニュースが流れている頃の出来事だったと記憶している。
その後、私は結婚して子供にも恵まれ、日々幸福に過ごしているが、香港の人々の今の気持ちはどのようなものであろうか。
さらに年月を経た後、24年後に香港の人々が満面の笑顔でいられますように!
ランダムな三題噺のお題で、ブログを書こうとすると、昔の記憶にたどり着くことが多い。
今日のお題は、冷凍、夕焼け、返信でした。
楽園ってどんなのだろう(本日の三題噺から)

本日の三題噺お題 楽園 川 雷
さらさらと流れる川で、キラキラと光る小魚が跳ねる。
ぽかぽかと優しい日差しが注ぎ、そよそよと風がほほをなでる。
たわわに果物をしならせた川沿いの果樹の木立から、太陽の光がさしこんでいる。
私は、木漏れ日の差し込む余地もなく葉の生い茂った、抱きしめても両手が回らない大きな木の下で、のんびりと昼寝をしている。
取り立てた悩みもなく、これが楽園というものかとぼんやりと考えている。
遠くで雷がなっている。
すこしづつ近づいてきており、やがて、こちらにもにわか雨を降らせるのであろう。
にわか雨がふるとわかっていても、今の幸福な気持ちにかわりはない。
大木の圧倒的な傘のおおきさが与えてくれる安心感が半端ないのであろう。
心が平穏であれば、傘の外の世界に雨が降っていても、気温、湿度が快適で、五感にうったえかける不快感が何もなく、先の浸水の恐怖もない時に、人は楽園を感じることができるのであろう。
キリスト教の楽園や仏教の極楽浄土も同じイメージでとらえていていいのかしら。
おじいさんの時計

ライトレによる本日のお題→時計、動かない、おじいさん
お題を聞くと誰もが、子どもの頃によく聞いた童謡である「大きな古時計」を思い出すのだろう。
最近では、平井堅のカバー曲を思い浮かべる人が多いかもしれない。
おじいさんの生まれた朝に来た時計が100年間の時をへて、おじいさんのなくなった日に動きをとめたという歌詞である。
私にとっては、じっくりきくと何ともせつない気持ちがこみあげてくる歌である。
せつない気持ちを文章で伝えたいと思っているが、一番簡単な方法というのは心理描写で感情を描くよりは、せつなさを感じる風景を共有するのが簡単なのだろう。
ただ、皆が、この歌でせつなさを感じるのかが、私にはよくわからない。
なぜなら、私の祖父がなくなった日の出来事を思い起こした時にも、神秘的な出来事があった経験があるのだが、私はそこに切なさを感じることはなかったからである。
その出来事とは、私が物心ついた時から家にいた老齢のオウムが、まったく卵をうまなかったことから、オスだとばかり思いこんでいたのだが、おじいさんの亡くなった日に、初めて産卵して雌だと判明したのだ。
この時は、神秘的なできごとに対する敬虔な気持ちがあるのみで、切なさを覚えることはなかった。
二つのエピソードの違いのどの部分で、私の感情のどのスイッチが押されるのか、もう少し自分の感情を観察し続ける必要がありそうだ。
三題噺をはじめてみたよ!

毎日、ブログを更新していくにあたって、皆は、ネタの無い日をどのようにやり過ごしているのだろうと思い、【ブログ ネタ切れ】などの、それっぽいキーワードを、放り込んでみた。
【SEOのキーワードから考える】など、いろいろと出てくる中で、【1週間で身につく小説トレーニング法】にたどりついた。
下記に引用する。
1日目:日記で観察力を鍛える。
2日目:三題噺で発想力を鍛える。
3日目:フレームワークで構成力を鍛える。
4日目:模写で文体を鍛える。
5日目:校正で日本語力を鍛える。
6日目:推敲で表現力を鍛える。
7日目:短編で小説緑を鍛える。
三題噺で発想力を鍛えるというのは、将来にもつながる内容で、いいじゃないかと思い、ネタ切れの時の技として採用する。
早速、三題噺のお題を自動でだしてくれるアプリ【ライトレ】をダウンロードしてみた。
本日のお題は、【墓地・花・命日】。彼岸でもない普通の日、本日が命日の有名人を調べたところ、宮本武蔵、北里柴三郎、太宰治などの大物がヒットした。
今日は、桜桃忌だったかしらと調べると、6月19日が桜桃忌だった。
桜桃忌は、しのぶ日であり、実は命日ではなく、遺体が発見された日のようだ。
ただし俳句の季語としての、桜桃忌は、6月13日をさすことが多いそうで、桜桃忌一つ定めるにしても、いろんな人の思惑を感じてならない。
6月19日が奇しくも太宰治の39歳の誕生日だそうで、一つ一つがドラマチックに見えるが、これは誕生日を迎える前に死んでしまいたいという、気持ちと行動が、その結果につながっただけと捉えるのが自然であろう。
父の33回忌を終えた後、コロナ禍で、墓参りはおろか、帰省もできていない。
墓参りの際の花は、バラのように棘があるもの、毒があるもの、香の強すぎるものなどをさければ自由であるということなので、次に実家の墓参りをするときは、白を基調に淡い青なども取り混ぜて花を作ろうと思う。
早く、普通に墓参りできる日が戻りますように!
森林インストラクター合格支援講座を受講したよ!

日曜日、子どもが筋肉痛で、毎週通っているチアダンスを休む。
こちらは、予定通りに、10時から16時まで、森林インストラクターの合格支援講座をZOOMで受講する。
習い事が休みになった娘からの邪魔が、時折入る、雑音交じりの講習会となった。それも楽しかった。
講義のテーマは、森の昆虫、鳥類、土壌の種類である。
一度、読むと比較的すんなり頭に入ってくる内容だった。
以前から、自然系の話は、新聞記事などでも注意して読んでいるせいか、基本的な単語の多くが頭に入っていることもおおきいのであろう。
好きこそ物の上手なれというのは、こういうことなのであろう。
仲間にもお金にもことかかない、幸福な将来を送るためには、趣味になるような楽しいことで教室を開くのが一番良いと考える。
趣味をお金の稼げるレベルに引き上げるには、時間が必要である。
せいぜい2~3個だろう。
森林インストラクター、ブログ、コーチング、小説読み書き、家庭菜園、木工細工くらいで精一杯か。
関係性をつなぎながら、多少の出し入れをしながらも、前にすすんでいく。こつこつと!
毎日のルーティーンをアウトプットできるレベルに高めよう!

今日は、長女は期末テスト明けの部活動で、8時に学校に向かった。
まだ6月である。
俺の学生の頃に比べて、中間テストと期末テストの間隔がとても短くなっている。
ぎりぎりまで待って、試験範囲を広くとる方が良いと思うのだが、あえてはやくする理由が何かあるのだろうか?
少し疑問に思った。
ネットで一度質問してみよう。
こうやって一つ一つ疑問を解決していけば、昨日より、ひとつ賢い自分になれるのだろう。
今日は、俺は10時からジムに通い筋トレを行う。
身体を動かしながらの、ながら思考の時に、いつも色々と考えを進める。
貴重な時である。
今日、考えことは、家庭菜園や読書、ブログ、森林インストラクター等、好きなことをお金払って、時間を使って、趣味としてやっているが、一つ一つのレベルを高めていって、好きなことで、お小遣い稼ぎが出来るレベルになることが重要なのだという内容だ。
人が、お金を払って習いにくるということは、私の持つ技術に価値を感じるということであり、相手からコミュニケーションを求めてくるということである。
老後も、会社の外で作った仲間と楽しく過ごす為の、大事なポイントと思う。
毎日のルーティーンとしての作業、それは、私の場合、料理などの家事であり、家庭菜園であり、森林インストラクターであり、こうして書いているブログであるが、これらの毎日の楽しみを、他人に対して、お小遣い稼ぎにまで、レベルを高めていき、アウトプットしていく。
これを意識して、やっていくことが重要なのであろう!
幸せ探し(今日は、福岡移住セミナーに参加したよ!)

本日は、福岡移住セミナーバリカタにZOOMで参加した。
住居の決め方に関する簡単なレクチャーと二つの市町村のアピールという内容だった。
誘致している人たちがどんな人たちなのかという関心事が十分に満たされたので良いセミナーであった。
福岡は、人は好さそうなイメージがある。
コロナ禍での日常の変化には、良い面も悪い面もあるが、今まで有料もしくは遠隔地での現地参加でしか参加できなかった。
いろいろなセミナーに無料で参加できるようになったことを、大きなメリットして感じている。
参加者が増えても、同じ労力、同じ費用で開催出来る為、参加にあたって、主催者側がもうけるハードルも低く設定されているのだろう。
このところ幸福について、考えることが多くなり、ブログにも幸福論に関する読書感想文をアップしたりしているが、終の棲家をどこにするかも非常に大きなテーマとなってくるだろう。
大目標が実現できること(自然保護、出版)、宇宙に一番ちかいこと(大自然のそばで)、何より年齢の離れた細君が、私の死後幸せに暮らせる土地であることである。
細君が幸せに暮らせる土地の要件としては、身近に知り合いいる場所になるであろうことから、横浜か鹿児島か福岡あたりになるのが妥当であろう。
それらの候補地の中に、居住費用などの因子もかけあわせて決めていけばよい。
あとは、子供の進学などの他の要素も足し合わせて考えた時に、何年後を目途にするかである。
【星の王子さまの幸福論(渡邉健一)扶桑社】(続き:ラッセル編)

昨日は、幸せになるための40カ条を、本書そのままに転記した。
今日は、あらためて心に響いたところについて感想も含めて記載する。
人にまけることへの恐れ、他人と比較して妬み、自分に絶望した卑屈さ、自分が大好きなナルシスト、みな他人との相対の中で自分がどのような状態にあるのかしか関心のない、自己中心的な人たちである。
他人との比較の中で、人を妬んだり、自分の事ばかり心配したりする悪い癖を捨て去らなければ幸福にはなれない。
自分の関与しない外の世界に関心を向けることが幸福への道である。
心のよりどころ、気持ちの安らぐ場所、人間には、そういった根っこが大切なのである。
人との比較をやめるためにはどうすればいいのか?
自分の人生全体が向かっていく、たった一つの大目的を定めることだ。
それが出来れば、死んでも思い残すことはないと定めて、精魂こめてやっていくことである。
もう一つは、山へ登ったり、海を見たり、宇宙をかんじさせる、人間のスケールをはるかに超えた風景の中に身をおくことである。
絶望しているときでも、広大な風景の中に身をおくだけで解決していることはよくあることだ。
宇宙との一体感は、自分をはるかに超えた巨大なものであるので、宗教にそれをもとめてもよいだろう。
私の場合は、自然への畏敬でもよいし、般若心経でもよい。
そして、悩んだ時には、人生の大目的や宇宙の大きさと、現在の悩みを比べてみることである。
彼我のあまりの差を感じて、現在の悩みがいかにちいさいものかわかるであろう。
毎日の暮しのなかで、たった一つの大目的と日常の暮しの中で発生する義務などが乖離して分裂した状態になっているときには、やはり幸福から遠ざかっている状態だと言える。
現在と未来を分裂させることなく、一つの希望で統一することが幸せへの道となる。
心が分裂していなければ、迷いはなくなり、日常レベルのささいなことは取るにたらないことになる。
生活の糧となる金銭を得る為だけに、身過ぎ世過ぎの仕事をこなして、大目的に余った時間を投入していくことでもよい。
今、大目的のために行動していることが大事なのである。
心の中が分裂したままでは、何事もできない。俺の人生の大目的は、【自然を守り、溶け込むこと】で、良いであろう。
大目的に向かって、幸福でいれば、皆、助けてくれる。
全てが好転していく。
