
日本の生物多様性は高くて固有種が多い。日本列島は地殻変動と氷河期の海水面変動によって大陸との接続と分離を繰り返してきたため、大陸から移入した種が孤立個体群として独自の進化を遂げたため固有種が多い。
その理由は、日本列島は南北に長く、亜寒帯から亜熱帯までの気候帯があり、また平野から3,000m級の山岳地まで地形的にも多様な生息環境が備わっているため、独自の進化を遂げ多様化したのである。
日出国、瑞穂の国、八百万の国に生まれた幸せを思う!

家族・書・食・酒を愛する楽しい暮らしの記録
日々の思いをつづるブログ

日本の生物多様性は高くて固有種が多い。日本列島は地殻変動と氷河期の海水面変動によって大陸との接続と分離を繰り返してきたため、大陸から移入した種が孤立個体群として独自の進化を遂げたため固有種が多い。
その理由は、日本列島は南北に長く、亜寒帯から亜熱帯までの気候帯があり、また平野から3,000m級の山岳地まで地形的にも多様な生息環境が備わっているため、独自の進化を遂げ多様化したのである。
日出国、瑞穂の国、八百万の国に生まれた幸せを思う!

今日は二十四節気の小暑。だんだん暑さが増しているという意味で、梅雨明けも近くなり、湿っぽさの中にも夏の熱気が感じられるようになる季節。
今日から大暑(24日)までが暑中見舞いの時期となる。
今日は七夕。
織姫と彦星にとっては、あいにくの雨で、山陰地方では観測史上最大で、従来記録の150%とのことで、避難の必要な崩れ方をしているそうだ。
三重でも雨が多く降ったが、テレワークの中、家族で観葉植物に短冊をつるした。
夏目漱石の夢十夜を引き続き、音読した。
リアルタイムで見ているかのように、絵が浮かぶ文章。
ここにきらきらした物語を重ねていく必要があるのだろう。
毎日、こつこつ積み重ねていけば、きっとできる。
まずは、一つの日に、小暑と七夕が重なった時に、二つをうまく重ね合わせるくらいのことはできないといけない。
(やってみた)
少しづつ気温もあがり、寝汗を書き始めたので、ここ数日、クーラーのお世話になっている。
もう小暑だなぁと思っていたら、今日は一日天気が崩れて、大雨が降り、思いのほか涼しい一日となった。
小暑でありつつ、七夕でもある、この日なのだが、織姫と彦星にとっては、あいにくの雨であった。
(コメント)
夏目漱石であれば、短冊を部屋の観葉植物に吊るす風景が絵になって見えるのだろう。意識するように!

ブログを始めてから、自分の文章の稚拙さが嫌になり、図書館から書籍を借りてきたり、ネットで検索したりして、文章の書き方・小説の書き方について少し勉強中である。
その内の一つに、お手本となる作家を一人選んで、写本するとよいとの記述があった。
今、日本経済新聞で、伊集院静が夏目漱石を主人公にした【ミチクサ先生】という新聞小説を連載中である。
伊集院の作品は、週刊誌のエッセイを読んだことがあるくらいで、本人に対しても、夏目雅子の亭主というくらいの知識しかなかったが、こんなに書ける作家だとは思わなかった。
毎日、楽しく読みながら、夏目漱石に急に興味がわいてきたところだったので、夏目漱石の作品に照準を合わせてみようと思う。
夏目漱石は、日本を代表する文豪であるものの、私自身は、【吾輩は猫である】、【私の個人主義】など数冊にとどまり、未読の書も多いので、一石二鳥というものである。
まずは、昔、漫画化されたものを読んだ、【夢十夜】を借りてきた。
ブログ向けの文章を磨くには、まずは短編からがよいだろうとの判断による。
この本を読んで写してすることで、私の稚拙な文章も多少はましになるとよいのだが。

私の過去のヒーローを羅列すると、仮面ライダー1号・2号、ウルトラセブン、仮面の忍者赤影、古賀俊彦、硬派銀次郎、デビルマン。
異次元のヒーロー、空想のヒーローの中に、ぽつんと古賀俊彦が並ぶ。
168cm71kgで私と同じ背格好で、年齢も下だが、私の理想が目の前で柔道をしている、あの衝撃は忘れられない。
彼こそ、異次元のヒーローだった。
今の野球少年は、大谷翔平を見て同じような気持ちになっているのだろう。
【なんと孫六】のように、大リーグで投手と打者を両立させて、その両方でオールスターに同時出場。
憧れが目の前で躍動している感じ。
俺は俺で、輝くぜ!

昨日は、お酒を飲んで、今朝は9時までぐっすり寝た。
平日、禁酒して土日で飲む生活パターンは悪くない。
睡眠の質がとても良くなっている。
ただ、土日がどうしても飲みすぎになって、休日の充実度が今一つになることがある。
今の俺は、週末のQOLを第一に考えるべきなので、修正をしていく。
森林インストラクターの過去問を最低限やって、あとは日記、ブログ。
出版はやらずに、家庭菜園など心を整えるのに使う。昼は収穫したきゅうりをつかって作った和風ラタティーユ、夜はオムレツ。
14時から、津市のあじさいの園、風早園に行く。
7万株を超えるあじさい、3月には梅、5月には藤も楽しめるとのこと。
三重は、知名度の低い地味な自然系の観光地が多いなぁ。
売り方次第で、もう少しいけそうだけどなぁ!
挿し木用のあじさいを8本ほど貰う。
昨日、地植えしたレモンや水につけてる紫蘇に加えて、うまくつくといいけどなぁ。
楽しみにまとう。
そうして、この日々を総括するときに、心の片隅で花開いてるといいな!

このところ三題噺をアップしている。
脈絡のない単語でも、だらだらと駄文で繋げていく程度の経験値はありそうなことがわかってきた。
ただ、起承転結、物語にする構成力がまるでだめ、まだまだ精進が必要である。
さて水槽、最近は森をキーワードに自然とのふれあいを探っているが、千葉に住んでいた、独身の頃は、
もっぱら60Lの水槽を2本並べて、淡水魚と水草の水槽を作っていた。
ウイローモスやアヌビアスナナなどをメインとした水草に、ブルーテトラやミナミヌマエビを入れて買っていた。
少し大きめの透明キャットフィッシュもいれていたが、卵を抱いたミナミヌマエビが丸のみされるなど、スペクタクルなところもあった。
人間の部屋の中と屋外の大地、人間が恣意的に生態系に関与しているか否かが違いなのだろう。
大地に降り注ぐ日光と水草用のLEDライト、電気代かけて精一杯メンテして、水草をトリミングする水槽と恒常性を有する外の自然。
すこしづつ外に目が向いてくるのが、やはり自然のなりゆきだったのだろう。
自宅の水槽を時が止まったかのような状態で保存するよりも、森林、里山、河川といった外の風景を次世代に残せるように保存活動に勤しむ、やはり結論は、ここにありそうだ!!

返信、夕焼け、冷凍 中国共産党創立記念日(1921) (1997)
昔、好きで好きでたまらなかった子に告白をした時の思い出。
明るく元気が売りの女の子だったが、少し困ったような笑顔で、考えさせてくれといった。
三日後に手紙で返事をもらった。
今なら、携帯メールの返信ですませるところだろう。
口答で言いづらい結果であることは容易に予想がついたが、とりあえず笑顔で受け取って別れる。
トイレに駆け込んで、封を切ると、お約束通りの「いいお友達で・・」から始まる文章だった。
がっくりと肩を落として帰る。
西の空を覆う、強烈に真っ赤な夕焼けの中、とぼとぼと歩くうちに、陽が落ちて夕闇へと変わっていった。
その日は、生きたまま冷凍にされる、まぐろの気持ちを想像しながら、自分の気持ちと比較して、むしろまぐろのほうが幸せなのではと想像していたことを思い出す。
もう24年も前のことだ。
今日は香港特別行政府設立記念日。
24年前の今日、英国から中国に香港が返還された。
そんなニュースが流れている頃の出来事だったと記憶している。
その後、私は結婚して子供にも恵まれ、日々幸福に過ごしているが、香港の人々の今の気持ちはどのようなものであろうか。
さらに年月を経た後、24年後に香港の人々が満面の笑顔でいられますように!
ランダムな三題噺のお題で、ブログを書こうとすると、昔の記憶にたどり着くことが多い。
今日のお題は、冷凍、夕焼け、返信でした。

本日の三題噺お題 楽園 川 雷
さらさらと流れる川で、キラキラと光る小魚が跳ねる。
ぽかぽかと優しい日差しが注ぎ、そよそよと風がほほをなでる。
たわわに果物をしならせた川沿いの果樹の木立から、太陽の光がさしこんでいる。
私は、木漏れ日の差し込む余地もなく葉の生い茂った、抱きしめても両手が回らない大きな木の下で、のんびりと昼寝をしている。
取り立てた悩みもなく、これが楽園というものかとぼんやりと考えている。
遠くで雷がなっている。
すこしづつ近づいてきており、やがて、こちらにもにわか雨を降らせるのであろう。
にわか雨がふるとわかっていても、今の幸福な気持ちにかわりはない。
大木の圧倒的な傘のおおきさが与えてくれる安心感が半端ないのであろう。
心が平穏であれば、傘の外の世界に雨が降っていても、気温、湿度が快適で、五感にうったえかける不快感が何もなく、先の浸水の恐怖もない時に、人は楽園を感じることができるのであろう。
キリスト教の楽園や仏教の極楽浄土も同じイメージでとらえていていいのかしら。

ライトレによる本日のお題→時計、動かない、おじいさん
お題を聞くと誰もが、子どもの頃によく聞いた童謡である「大きな古時計」を思い出すのだろう。
最近では、平井堅のカバー曲を思い浮かべる人が多いかもしれない。
おじいさんの生まれた朝に来た時計が100年間の時をへて、おじいさんのなくなった日に動きをとめたという歌詞である。
私にとっては、じっくりきくと何ともせつない気持ちがこみあげてくる歌である。
せつない気持ちを文章で伝えたいと思っているが、一番簡単な方法というのは心理描写で感情を描くよりは、せつなさを感じる風景を共有するのが簡単なのだろう。
ただ、皆が、この歌でせつなさを感じるのかが、私にはよくわからない。
なぜなら、私の祖父がなくなった日の出来事を思い起こした時にも、神秘的な出来事があった経験があるのだが、私はそこに切なさを感じることはなかったからである。
その出来事とは、私が物心ついた時から家にいた老齢のオウムが、まったく卵をうまなかったことから、オスだとばかり思いこんでいたのだが、おじいさんの亡くなった日に、初めて産卵して雌だと判明したのだ。
この時は、神秘的なできごとに対する敬虔な気持ちがあるのみで、切なさを覚えることはなかった。
二つのエピソードの違いのどの部分で、私の感情のどのスイッチが押されるのか、もう少し自分の感情を観察し続ける必要がありそうだ。