勝手に人生相談

最近はコーチングセッションをせっせとやっている。

今日も朝から二つこなした。

言葉のトーンは良いと言ってもらえるのだが、毎回いい気付きを引き出す質問ができずに、まだまだ力不足を実感している。

少しでも気の利いたことが言えるようにと思って、言葉の反射神経を高めるための訓練をいくつかやっている。

その内の一つに、『勝手に人生相談』がある。

新聞などには人生相談の投稿コーナーがあるが、投稿者の相談を見た後に回答者の回答を見る前に、自分なりの回答を考えるのだ。

全く回答の思いつかない相談もあって、回答者はよく考えつくよなぁなどと思いつつもびっくりする回答というのはなかなかない。

しかし今日の回答には驚いた。

50代の男性からの相談で浪費しがちなのだが倹約しつつ、その生活の範囲内で満足いく生活をおくるための工夫に関するものだった。

私はダウンサイジングさせた生活の楽しみ方などばかり答えとして考えていたのだが、回答者の答えは、人生一寸先は闇、欧米の価値観は『ありとキリギリス』の内、キリギリスの人生を高く評価している、刹那的に生きてみろというものだった。

50代まできちんとサラリーマンをやっていて少なくとも年金はきちんともらえるなどの相談・回答の背景となる個人情報は一切無い状態で、この回答が出せるんだと唸った。

いくつになってもいろんな視点が手に入ることに感動した。

相談者が回答の通りに生きるかどうかということも含めて考えた時に、意外といい回答なのではないかと思った。

引き続き、気の利いたことを言えるようになるために精進しよう!

Z世代の先の娘たち

深酒した翌日は睡眠の質が今一つよくないので二日かけて完全復活する感じである。

一日目は梅シロップから梅を取り出してジャムにしたりして過ごした。

爽やかな甘みと酸味でおいしくできた。

写真にするとあまりおいしそうに写すことができなかったので梅を取り出した後のやや色づき始めた梅シロップと赤く染まりつつある梅干しをアップロードする。

二日目の夜は本を読んだり、ゆったりと風呂に入ってのんびりと過ごす。

長女の高校は二学期制で今日までが中間テストだった。

次女は明日から期末テストに入る。

二人とも自分の頃より頑張っているように思う。

偉いなぁと思いながら心から応援していきたい。

団塊世代から始まる戦争を知らない世代のうち、バブル世代と呼ばれて脳天気に暮らしてきた私たちである。

失われた30年などとしょぼくれた話も多くはなったがギリギリ逃げ切る最後の世代かもしれない。

子供たちはそうもいかないだろう。

まだ塊としての世代としての呼び名のないZ世代の先の子供たちである。

世界にはばたくなどのいろんな選択肢を持ったまま、一生懸命生きて幸福の形を探してくれると良いと思う。

旧交を温める

以前、お世話になっていた会社の先輩と食事をした。
私の住んでいる三重県に新しく工場を建てることになったそうで情報交換がてら表敬訪問いただいた格好だ。
楽しくお酒を飲みながら、前の会社の同僚や定年退職した先輩に電話をして昔を懐かしんだ。
7月には久しぶりにリアルで集うことも決めた。
そういう話がでるくらいだから皆それなりに頑張っているし、当時を懐かしむ気になる良い会社だった。
リアル飲み会のメンバーには定年退職まで一つの会社で勤め上げた人も定年前で勤務中の人も転職した人もいるし出向した人もいる。
それぞれの経験、思いを持ち寄っていろいろ話すと楽しそうである。
いまとなっては転職前の気持ちを思い出すことも難しいが私自身はいろいろと変わった経験が出来てよかったと思っている。
今日の写真は居酒屋で食べたサメの心臓である。
ほかにもタコの卵など初めての食材をいただいた。
引き続き、いろいろと新しい経験を積み重ねていきたいものである。

忙しい月曜日

今の職場は月曜日が特に忙しい。

品質保証部でお客様のご指摘対応などをやっていることが主な要因である。

お客様も平日は忙しくて土日の手が空いたタイミングで現品を発送することが多いのだろうし、会社HPからの問い合わせメールも溜まっている。

土日は電話がつながらないので月曜日をまって連絡してくる人も多い。

昔、R&Dにいた頃は特定の曜日が忙しいという感じはなかったので今の部署に特有の問題かとも思ったが、調べてみるとそうでもない。

サラリーマンも専業主婦も一番忙しいと認識している曜日は月曜日だった。

業種にもよるがR&Dの時のほうがむしろ例外だったようだ。

そのわりには月曜日は嫌いではない。

来た球を脊髄反射的に打ち返していると一日が終わるのが早いのだ。

ただし一日が終わるとぐったりとはする。

夜ブログを書く時間になると、今日は仕事ばかりしていてネタがないということに陥りがちである。

それでこんな文章を書いている。

今日も一日お疲れ様でした。

寝酒の代わりに梅シロップの炭酸割りをいただく。

子供たちは一杯ずつ試し飲みをしていたが、私は今年初めてになる。

おいしくできていた。

よかった。

今日もコーチング

昨日に引き続き、朝7時からコーチングの相互セッションを行った。

なかなか盛り上がって次もやろうと言われてクローズした。

コーチングを始めてから、コーチを目指す仲間で相互セッションを続けてきたわけだが、相手からこれからもやりたいと言われたのは初めてだったので嬉しかった。

一つ進んだ感じがする。

盛り上がった話題としては、向上心がなく今に満足している学生にどうコーチングしていくかであった。

結論としてはテーマ探しを手伝うところに勝機ありというところで頑張ろうとなった。

ストレングスファインダーやブレインアナリストなどで可能性をひろげていくのかなぁなどと話をした。

こういうことをすこしずつ積み重ねていくことで何か展開があるのだろうと思って進めていく。

コーチングセッションを終えた後は、ジムに行って筋トレをして、その後、馬鈴薯を掘り上げた。

茹であげてバターで食べるとおいしそうだ。

ここまでで午前中(昼食前?)が終わる。

早起きすると良い。

昼食を食べて長女の電子辞書を買いに行く。

早起きは午前中の充実を担保すると言うことを確認できた一日だった。

うっかりする

今日(6月11日 )は朝5時に起床してさっさと朝ご飯を済ませた。

7時からのコーチングの相互セッションをこなして、その後筋トレにジムへと向かい、午後は図書館に本を借りに行った。

自分で作った予定ではあるがまあまあ忙しい日ではあった。

相互セッションの相手は私と似たような年齢の女性だったのだが、一つの約束をした。

老後、コーチングで充実した時間を過ごしたいと願っている割には、もともと持っているコミュニティに対して、コーチングの資格を取ったことを周知していない状況が問題視されたので、皆に周知することを約束した。

早速、つながりの残っている人たちへ案内するだけして何か返信が来るのかドキドキしている今日である。

まあ覚悟の問題を問われたということなのだろう。

写真はトマト。

仕込んでしまえば勝手に実がなる。

まずは仕込めということだと学ぼう!

→昨日投稿したるもりの文章が投稿されていなかった。残念!

がれきの下

職場近くの建物の取り壊しがあった。

しばらくの間はビルから中庭に向かって椅子や机などを放り出す日が続いていて解体の予兆だけ感じていた。

ある日から敷地全体を防音シートで覆って本格的な取り壊しが始まった。

今日、騒音を伴う工事が終わったようで防音シートが取り除かれていた。

驚くことに今にも畑になりそうな良さげな土がむき出しになっていた。

元々、農地だったところにコンクリートを敷き詰めて隣接する道路にアスファルトを強いて商業化したのだとすれば不思議でもないことなのかもしれないが少し感じるところがあった。

建物が消えた側からの視点、もともとは農地だったものがあらわになった側面を見る視点などいろいろな角度から眺めることができそうではあるが、諸行無常と言うよりは一皮むいた後にたくましさ・強さが残っているような感じを受けた。

昨日のブログタイトルにもした『夜と霧』を読了した。

作者は心理学を専門とする医者であり、ユダヤ教徒だが、極限的な状況下で宗教的な思念を入れることなく極めて淡々となかばユーモラスに強制収容所での日々を描く。

多くの囚人が自死を選ばずに懸命に行きようとするのはぼんやりと考えるゆとりもなく突然に極限下に放り込まれたからなのか宗教的なものなのか?

レベルは天と地ほども違うが柔道部の練習がつらくてどうしようもなかったときに思考停止して乗り越えてきた延長線上にある世界なのか?

しばらくは夢に見て、そしてまた見返す本になるのだろう。

『宗教で読み解くファンタジーの秘密』・『夜と霧』

『宗教で読み解くファンタジーの秘密Ⅰ』を読み終わった。

もともと活字中毒ではあったのだが、このところ少し重ための本をよく読んでいる。

巻末の解説・書評を読むといつも深い読み方ができるものだと思って感心ばかりしていたが、この本を読むことで少しわかったことがあるように思う。

タイトルからわかるようにキリストや仏陀の救済物語をベースにおいて、星の王子さまにおける子供と大人の二項対立や風の谷のナウシカの集団の罪を購い死に再生するという物語を宗教説話に突合させて比較していくという書き方だった。

何かと比較しながら解釈していくと深く読めるということを教えてくれる本であった。

参考になった。

著者は中村圭志という人で、著者略歴を読むと大学の先輩だった。

同窓が頑張っていると思って少し嬉しかった。

次は『夜と霧』を読む。

強制収容所の話で昔から気になっていたのだついに借りてきた。

読み始めてすぐに重たい。

昨日は子供の通う中学で体育祭の予定だったが子供の通う中学の同級生が交通事故で亡くなったということで中止との連絡が来た。

子供がなくなる話を聞くとやりきれない気持ちになる。

大学時代の友人が卒業式の写真を送ってくれて懐かしかった。

少しもの悲しい気持ちにもなった。

秋でもないのに色々と物思う日であった。

ヨモギ風呂とヨモギ茶と

庭にヨモギが生い茂っている。

この借家に越してきて丸3年になる。

越してくる前は少なくとも5年は空き家だった場所で引っ越した時にはスギナばかりの荒れた庭だった。

3年の間に庭もだいぶんとメンテナンスされて植物相がゆたかになってきた。

そんな植物相の中にヨモギもあって先日はヨモギ餅を作ってみた。

今回は家内が摘んでヨモギ風呂とヨモギ茶にするべく干しかごに入れて乾かしている。

この干しかごではあじの干物や干し椎茸やタマネギなど色々と干してきた。

楽しみである。

現在、21時20分であるが中学生の子供を塾に迎えに家内が出かけて行った。

最近の若い者は大変だ。

上の子も下の子も元気に頑張っている。

久しぶりに母の声を聞きたくなって実家に電話をした。

周りの人たちが皆幸福でありますように。

三重の車窓から

三重はまだ梅雨入りを待っているところだ。

朝は少し愚図ついた天気だったが帰りはすっかり晴れ上がっていて、18時過ぎの車窓から見える風景ものどかで気持ちよい。

車両も貸し切りで私一人だった。

行きの通勤は高校生などもいて多少は混んでいるのだが(とはいっても乗車率100%以下)、帰りは彼らとも時間が合わずに車両一つが貸し切りかせいぜい2,3人くらいで急行停車駅まで移動している。

高校を卒業したての浪人生の頃は東横線から渋谷乗り換えで井の頭線に乗って予備校に通っていた。

乗車率にして300%を超えていたと思う。

本当に手を離しても鞄が宙に浮いていた。

いろんな都市に住んだし、いろんな家に住んだ。

学生時代の四畳半に共同便所でお風呂は銭湯といったところから駐在員専用のコンドミニアムなどにも住んだ。

静かなこと、借景で良いので緑が見えること、日当たりの良いこと、図書館が近いこと、都会へのアクセスが悪くないことなど老後に過ごしたい街、家のイメージが少しずつ固まってきた。

懐具合を見極めながら、さらに絞り込んでいこうと思う。

あと2年くらいまでの間になんとか形にしたいと思う。