
私の勤める職場では、毎朝持ち回りで3分間スピーチを行っている。
職場には、息子さんがプロ野球の育成選手で支配下登録を目指しているというメンバーや、中日ドラゴンズの大ファンで月に1度は、ナゴヤドームに通っているというメンバーもいる。
当然のように、スピーチのテーマがプロ野球に関係するものになることが多い。
先日、私の番が回ってきたので、せっかくだからプロ野球の思い出を一つ披露した。
私が一番頻繁に野球場に通っていたのは、1970年代前半、大洋ホエールズがホームグラウンドにしていた川崎球場である。
祖父の知人が勤めている会社が、バックネット裏のシーズンシートを持っていたのだが、取引先にチケットの貰い手がいないときなどに、よく我が家に回ってきたのだ。
当然、人気の巨人戦に行ったことはなく、広島戦に行くことが多かった記憶がある。
当時は「人気のセ、実力のパ」と言われた時代だった。
今も球団名が残るのは、セ・リーグでは大洋を除く5球団だが、パ・リーグではロッテだけである。
まだ長嶋茂雄が現役で、大洋は、エースの平松や一塁の松原らが主力として活躍していた。
当時は、内野席と外野席が自由に行き来できたので、ホームもビジターも関係なく観客席を楽しんでいた。
子供たちは、靴を放り投げては、ナイターの照明に集まる虫を求めて飛来したコウモリが、靴を虫と誤解して地面すれすれまで飛んでくるのを面白がっていた。
ある時、ポールに近い内野スタンドの端っこで遊んでいたら、ライオン丸というあだ名のシピン選手が、左中間にホームランを打った。
打った瞬間、「これは入るぞ!」と思って駆け出して、見事ホームランボールを入手することが出来た。
すいているにもほどがある、川崎球場だからできた経験である。
朝礼のスピーチでは、この経験をもとに、「後楽園球場というレッドオーシャンでなく、川崎球場というブルーオーシャンで活動していたおかげで、ホームランボールを獲得できた」という話として締めくくった。
球場も球団も姿を変えた。
それでも、コウモリが飛び交い、シピンのホームランを追いかけたあの日の川崎球場だけは、今でも私の中で色あせることなく残っている。
あの自由でおおらかな川崎球場には、昭和という時代そのものが詰まっていたように思う。
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