「地震活動期をどう生きるか」~移住検討先の防災マップをみつめながら~

7月28日、熊本県で最大震度七を観測する地震が発生した。

横浜に住んでいた子どもの頃、大震災といえば、関東大震災であり、教科書に載っている存在だった。

せいぜい震度四くらいしか知らない私には、震災は遠い存在だった。

周囲の大人たちも同じで、危機意識も「二度と戦争を起こさない世界にする」に向いていたと思う。

下水道の整備が進んでない当時は、台風による床上浸水のほうが、すぐそこにある天災(危機)であった。

どこか他人事だった大地震を自分ごとに感じ始めたのは、1995年の阪神・淡路大震災くらいからだ。

1994年まで大阪に勤めていて、その後、千葉に転勤になったため、関西の友人・知人も多く、阪神・淡路の影響で、人生が大きく変わった人たちを何人も知っている。

当時、ほとんどの日本人は京阪神で大地震が来るとは思っていなかったと記憶している。

耐震基準の変更など、国の政策も大地震は必ず来ることを前提にして大きく変わっていったような気がする。

実際、日本列島では大地震が相次いでおり、活動が活発な時期に入っているとの見方を示す専門家もいる。

大学を卒業して社会人として働いていると、自分の世界も広くなり、阪神・淡路大震災より後に起こった大きな地震、例えば、新潟県中越地震や東日本大震災、能登半島地震では、いつも安否の気になる人がいた。

東日本大震災や能登半島地震では、被害の大きさに加え、人口減少や高齢化という地域の課題も重なり、集団移転や居住誘導について改めて考えさせられる場面もあった。

海沿いか高台か、居住誘導区域かそれ以外か。中古物件の価格にも、防災への意識が反映される時代になってきている。

防災意識が必須の時代になったのだと思いながら、移住候補先である福津市の防災マップを眺めてみた。海岸線を持つ行政区域であり、やはり津波や洪水に注意の必要なエリアが多い。さらにネットで深堀りすると、観光名所でもある津屋崎千軒は、海から200mくらいの距離にあり、海抜も3~4mであり、大きな地震への備えを考えると、少し心もとない。海岸線から直線距離で2~3km離れると、地震時の避難場所として指定されている高校があり、標高も40mあり、避難場所として一定の安心感がある。土砂災害のハザードなどもあわせて、個々の物件を評価していくことになるのだろう。

60代になって移住先を探すということは、新しい暮らしを探すことだけではない。

大切な人を守れる場所を探すことでもあるのだと改めて感じた。

*今回の大地震で被災された皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。

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